落合洋司弁護士立憲民主党公認取り消しの謎

 立憲民主党から公認を取り消された弁護士の落合洋司氏(55)が4月2日、Twitterを更新し、韓国に関する一連のツイートについて、「ヘイトスピーチだった」と自身で認め、改めて謝罪した。

立憲民主党が公認を取り消した落合洋司氏が、自ら「ヘイトスピーチだった」と謝罪(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

 

報道等によれば、落合弁護士がツイートで、「韓国のようなごろつき、三等国家」などとの発言を繰り返していたことがヘイトスピーチに該当し、立憲が公認を取り消し、落合弁護士もヘイトスピーチだと認め謝罪したという話として伝えられている。

 

だが疑問がある。「ごろつき」をヘイトスピーチだと落合弁護士が認めたのなら、なぜ落合弁護士は今に至るも該当ツイートを削除していないのか?

 

 該当ツイートは以下のまとめから見れる。

#立憲民主党 #落合洋司 ネトウヨ発言を指摘されツイ消しするも掘ってみれば出るわ出るわの全方位差別 - Togetter

 

 今年の2月9日と2月10日に「ごろつき」と書かれているが、リンクをクリックして確認すると本日4月3日11時現在まだ削除されていない。本人がこれをヘイトスピーチと認めて謝罪したのなら、削除するのが常識的な行動ではないか?なぜ削除されてないのか?

 

上のまとめのうち、現在は削除されているものが12件ある。ただし、ヘイトスピーチに該当するかもしれないのは、「食べ物に何か入れられるかもしれない」というのと、(男の子が)「これから反日の道を歩むと思うと」の2件。他は安倍首相批判だったり、左翼批判だったり。

 

 不思議な話ではないか?繰り返すが「ごろつき」が問題になって本人があやまちを認めたのならば削除されるのが常識的な行動だ。もちろん落合弁護士が常識的な人ではないので、謝罪したのに削除はしないという不思議な行動をしている可能性はあるが、そうではない可能性もある。今のところ本人が謝罪文以上のことを語ってないので不明だ。

 

そもそも、この一連の話の流れの中で、具体的に何が問題になったのか当事者は何も語っていない

 

可能性はいろいろ考えられる。

(1)「ごろつき」が問題視され、落合氏も認めたが、なぜか削除してない。

(2)立憲が「ごろつき」を含む一連のツイートを問題視し、落合氏も一部をヘイトスピーチだと認めたが「ごろつき」については認めず削除もしていない。

(3)立憲も落合氏も「ごろつき」に関してはヘイトスピーチだと考えていない。問題になったのは別の部分。

 

 

ところで、落合氏の「ごろつき」発言は

 というものだから、明らかに「国家」に対するものであって、人種・民族に対するものではない。合衆国大統領が「ならず者国家(rogue state)」というのとどう違いがあるのだろうか?なおrogue state」には「ごろつき国家」という訳語もある

 

(なお当然のことながら立憲民主党の政策と対立するから公認を取り消すというのなら何の問題もない。ここで問題になってるのはヘイトスピーチか否かである)

 

何がヘイトスピーチに該当するのかいったと確実なルールがあるわけではないので、これをヘイトスピーチだとみなすことも可能なのかもしれないが、「ごろつき(国家)」という表現がヘイトスピーチだというのは、誰もが納得できるものではないと思う。

 

で、上に書いたように現時点では立憲民主党も落合弁護士も「ごろつき」がヘイトスピーチだと明言していないのだから、それが問題になったというストーリーで議論されている今の状況はおかしいのではないかと思う。

 

立憲民主党や落合氏はもっと具体的な説明をすべきであろう。

 

ところで、「ごろつき」だとか、韓国に関することで議論されているのだけれど、落合弁護士のツイートのまとめを見ると、アメリカ人の蔑称が書かれている。これは明らかに人に対する差別語である。

范可(斎藤義龍)について(その3)

「范可」についての解釈は俺に言わせれば無茶苦茶である。全く論理的・科学的ではない。

 

(その1)『信長公記』の記述から義龍(新九郎)が「唐」の故事にちなんで「范可」と号したということは読み取れない。百歩譲ってその解釈が可能だとしても、別の解釈も可能である。

 

(その2)百歩譲って、ちなんだという解釈をするとした場合、『信長公記』によれば「范可」は法号法名)であるから、法号に唐の人名を使用していることになる。俺はそんな例を知らないが、この問題をちゃんと考えているのか?なお「范」は中国人の姓の一つであるから、「范」が姓で「可」が名の可能性があるが、法号に姓名を用いるということは、さらに有り得なさそうなことだ。

 

 (その3)『信長公記』には「はんか」と仮名で書いてある。百歩譲って、ちなんだと解釈しても、義龍の「范可」は一次史料で確認できるが、唐の「はんか」は確認できない。にもかかわらず「范可」と記している解説はどういう根拠によるものか?

 

(その4)『信長公記』によれば唐の「はんか」の故事は「父の頸を切って孝となった故事」である。よって、これにちなんで義龍が「范可」を号したのなら、義龍は父殺しは道三への孝行だと考えていた、またはそう宣伝しようとしていたことになる。そんなことがあり得るだろうか?また史実では「范可」を号したのは道三の生前であるから、息子の義龍は「これから親孝行のために親を殺す」と主張してたことになる。しかし当然のことながら親の道三が抵抗してるのだから、孝行であるはずがないのは誰の目にも明らかなことだ。

 

つまり、義龍の「范可」が唐の故事にちなんだものだと考えている研究者は(1)問題点に気付いていない。または(2)信長公記』の記述の一部分だけを採用し、都合の悪い部分は太田牛一の錯誤・創作ということにして、都合の良いように「本当はこうだったのだ」と修正しているかのどちらかであると考えられる。

 

そして極め付きは、「父の頸を切って孝となった故事」という部分を無視して、単なる「親殺し」をした人物にちなんだことにしてしまった。しかも『父殺しと言えば「范可」が代名詞になっていた』などという、ほとんど何の根拠の無い小説家もどきのことまで主張されているのだ。

 

※ これを主張している横山住雄氏は元市役所職員で在野出身ということになるかもしれないけれど、東京大学大学院人文社会系研究科助教の木下聡氏もこの説に沿った考えを持っておられる模様。

Tm. on Twitter: "なにより本人がそれを主張していないことからも否定されるとの事。
ただ木下さんは、義龍が名を「氾可」(中国の故事で、親の首を取って功と成す)と改めたのを道三の殺害以前とし、父への宣戦布告とされていますが、『信長(公)記』では殺害後とされているのは、どうなのでしょうか?"

 

最初に書いた通り、無茶苦茶であろう。こんなの(元の史料の断片だけを採用して、それ以外を大幅に「修正」する)がアリだったら、なんでもありではないか。修正する根拠となるものが他の史料にあるというのなら良いが(義龍が「范可」と署名した史料はそれに該当する)、それ以外は史料に無いただの辻褄合わせにすぎにすぎない。

 

こんなんで作家がどうのとか偉そうに言えるだろうか?

 

 

(追記3/31 9:00)そういえば懐かしのこれと似てるよね。

「おれたちはとんでもない思い違いをしていたようだ。これを見てみろ。」

ton.5ch.net