2012-07-21から1日間の記事一覧

足利義昭御内書(その7)

一方、「歴探」さんの解釈にも疑問があるわけで。 近頃、信長がほしいままにしていることが積み重なり、思いがけず京都を退きました。ということでこの時、甲州(武田氏)を一味とさせて天下静謐への奔走をさせるべく一色中務大輔を派遣しました。さらに一色…

足利義昭御内書(その6)

Wallerstein氏の解釈 ⇒足利義昭御内書の解釈 - 我が九条−麗しの国日本 就近般信長恣儀相積、不慮城郭取退候。然此節甲州令和談、天下静謐馳走頼入候。為其差越一色中務大輔。猶藤長可申候也。三月廿日 御判徳川三河守どのへ 近ごろ信長の放恣な振る舞いが続…

足利義昭御内書(その5)

もちろん御内書の内容が武田と上杉の和睦の件だとしても、それだけを説明するためにわざわざ使者を派遣したということはないだろう。 それは文書ではなく一色藤長によって伝えられたのだろう。その内容は徳川と水野に「援兵」を要求するというようなものであ…

足利義昭御内書(その4)

Wallerstein氏の追記によれば『後鑑』とのこと。近代デジタルライブラリーで確認。 著者は幕府に仕えた儒学者成島良譲・号筑山、等(『徳川実紀』編纂者成島司直の養子)である。全347巻・付録20巻。天保8年(1837年)から16年かけて執筆され嘉永6年(1853年…

足利義昭御内書(その3)

徳川家康に発給した御内書に「然此節甲州令和談」とあり、水野信元宛てには「然此節甲州令一味」とある。 「和談」とは、徳川と武田の和談という意味であろうと解釈するのが妥当か(俺は武田と上杉の和談の可能性があると思うけれど)。 ところで、「令一味…