金砂神社と日吉大社

『東アジアの古代文化』117号(大和書房)に吉野裕子氏の『常陸東西金(かな)砂(さ)神社「磯(いそ)出(で)大祭禮」試論』という論文が掲載された。
http://www.daiwashobo.co.jp/books/ISBN4-479-87120-9.html


金砂神社とは茨城県にある神社で、東西両神社があり、72年に一度「磯出大祭禮」を行なうことで有名な神社です。検索すればいっぱい出てきます。この金砂神社の創立は延暦25(806)年、近江国比叡山の日吉権現を分霊したものだという説があります。吉野氏は金砂神社の方位に注目し、

「金砂神社は京都と日吉大社を結ぶ延長線上、即ち正東から北、二二・五度線上に鎮座されている(三六〇度を八等分した場合、これは正に極限の丑寅の方位になる)。

と主張しています。かねてより方位信仰に興味のあった俺にとってはワクワクする話です。ただし、吉野氏は陰陽五行説によって、それを説明しているのですが、俺はそっち方面の知識がまるでありませんから、吉野氏の主張が妥当なのか判断することは不可能です。直線上に聖地があるということだけが、興味の対象です。


というわけで、実際にどうなっているか自分で確認してみました。その結果、驚くべき「偶然の一致」を発見しました。おそらく吉野氏も気付いていないと思います。(注:東金砂神社と日吉大社、西金砂神社と日吉大社を結ぶ直線は僅かではあるがズレがある。以後述べることは西金砂と日吉大社を結ぶ直線を採用したもの)


それは何かというと、この直線上に「金鑚神社」(埼玉県児玉郡神川町)という神社があるということです。延喜式神名帳式内社で、「金鑚」と書いて「かなさな」と読みます。つまり「金砂」のことです。


ウィキペディアによれば、由緒は、

日本武尊の東征の帰途、伊勢神宮にて倭姫命(やまとひめのみこと)より賜った火鑽金を室ヶ谷に鎮めたのが起源とされる。

ということで、金砂神社との関係は見出せません。見出せないにも関わらず、日吉大社、金鑚神社、金砂神社は一直線上に位置しています。実に不思議な偶然の一致でございます。


しかも、それだけではないのです。


これも吉野氏は言及していないので、気付かなかったのだと思いますが、この金砂神社と日吉大社を結ぶ直線を延長すると、どうなるかというと、遥か大分県宇佐神宮にピッタリ到達するのであります。逆に言えば、宇佐神宮日吉大社という日本を代表する神社を直線で結んだ延長線上に金砂神社が位置しているともいえます。むしろこう考えたほうがしっくりするような気がします。


ところで、ところで、実はまだ先があるんです。でもそれは内緒。


以上、トンデモ説を書いてみましたが、これが単なる偶然だとしても、そんじょそこらのこの手のトンデモ説よりは、ましなんじゃないかと自負しています。で、これはほんの一例。とっておきのは簡単に発表したくない。でも相手にしてくれないというジレンマ。


(追記)
一応、「はてなマップ」に該当地をクリップしてみた。これだけでは厳密に確認しようがないけれど、定規でもあててみればおおよそはわかると思われ。

http://map.hatena.ne.jp/tonmanaangler/