秀吉と河童(トンデモ第二弾)

「河童駒引き」という伝承が各地にある。カッパが馬を水中に引き入れるという話。その河童の別名に「エンコウ」というのがある。漢字では「猿猴」「猿公」とか書く。河童と猿は近い関係にあるのだ。そして猿は馬を病気から守るとされ親しい関係にある。有名な日光の「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿は東照宮の神厩舎に彫られている。


というのは、検索すればいっぱい出てくる有名な話。ここからが滅多に見ない、というか、俺が勝手に考えたトンデモ話。ただし、既に誰かが言っているかもしれない。そのくらい単純な話。だが少なくとも俺は一度も目にしたことはない。


「サル」と呼ばれた男、木下藤吉郎、後の豊臣秀吉。秀吉が「サル」と呼ばれたことについては、日吉大社の猿との関係を指摘するものはいっぱいある。例えば、小松和彦内藤正敏著『鬼がつくった国・日本』にはこんな記述がある。

秀吉が猿に似ていたのも日吉山王の使いが猿だからといわれてるけど、これなんかは秀吉が“猿”とか“はげねずみ”とか呼ばれて、実際にみにくい顔をしてたんで、そんな異形な顔の秀吉を英雄化するために、日吉大社の猿とむすびつけたんでしょうけど。問題は比叡山の鎮守である日吉大社につながる天台宗系の芸能の民なんです。猿まわしも、もともとは馬を祈祷して歩く厩祭でしょ。そもそも天台系の勢力は、琵琶法師とかイタコとかに免許を与えてたわけで、宗教的芸能民をにぎってましたから。ここらへんのネットワークと秀吉のつながりというのもあったんだと思います。

つまり秀吉がサルと呼ばれたのは、実際に顔がみにくかったからだけど、秀吉は日吉大社とつながりがあったということらしい。どうなんだろ?日吉大社とつながりがあるのなら、別に顔の良し悪しと関係なく、素直に結びつけても良さそうに思う。しかし、それは今回の本題ではない。


この秀吉の出自に関しては様々な説があり不明な点が多い。その中で、秀吉が家を飛び出して各地を放浪し、松下加兵衛という武士に仕えたという有名な話がある。放浪中の秀吉は「猿かと思えば人、人かと思えば猿」という風体であったという。
秀吉と松下加兵衛が出会った場所は「浜松」である。「浜松」と言えば「浜松城」。サルの秀吉は「浜松城」城主の飯尾豊前の前に連れていかれ、豊前の娘はサルを見て大いに喜んだそうな。


上で「浜松」と書いたのだが、「浜松」という地名は古くからあったらしい。だが「浜松城」というのは、徳川家康が築城した城のことをいうのが一般的であって、それ以前にあった城のことは通常「ヒクマ城」と呼ぶ。


曳馬(ウィキペディア)
に書かれている通り、「引馬」または「引間」とも書く。「引間」と書くのが一番古いらしいのだが、元々当て字っぽい。で、「ヒクマ」の語源はこの際どうでもいい。問題は「引馬」または「曳馬」だ。字面を解釈すれば、「馬を引(曳)く」。つまり「駒引き」。


「サル」と呼ばれた男が、「駒引き」という意味を持つ場所で活躍したなんてよく出来た話だ。と考えるのは考えすぎだろうか?


その後、秀吉は松下家を出奔し、尾張に帰って織田信長に仕えることになったというのは御承知の通り。織田家の家紋は「木瓜紋」。「木瓜紋」は胡瓜(キュウリ)の切り口を図案化したものといわれている。河童の大好物のキュウリである。というと冗談みたいだが、なぜ河童の好物がキュウリなのかと言えば、牛頭天王を祀る祇園社の神紋が胡瓜を輪切りにした形の木瓜紋で、そこで結びついたという説があるらしい。
参考⇒『河童と植物(胡瓜、橘、その他)』/多田克己


信長の信仰が厚かった津島神社が古くは津島牛頭天王社と呼ばれ、牛頭天王信仰の中心地であるのは有名な話。

馬にも、やはり川入りの日があつた。其為に、馬も亦、水神と交渉を持つ様になつた。尾張津島祭りも、一部分は、馬の禊ぎを含んで居る。この社の神人が、厩の護符を配り歩いたのは、多くの馬に代つた、神馬の禊ぎの利益に与らせようとするのである。馬は、津島の神馬である。馬の口綱をとつて居るのは、猿である。神人であることもある。猿を描いたのは、津島以外の形式が、這入つて居るのである。

(『河童の話』 折口信夫 青空文庫)


「秀吉」と「サル」と「河童」と「馬」と「キュウリ」と「牛頭天王」はこのように密接な繋がりがあるのである。話が出来すぎの感すらある。ということはどこかに作為があるのかもしれない。現在我々が抱いている秀吉のイメージは見直す必要があるのかもしれない。
だけど、こんなことを指摘している人を目にしたことがない。せいぜい「日吉信仰と猿」の関係くらいなものだ。もちろん、河童の研究はちゃんとされている。そこから秀吉までの距離はそれほど遠くないように見えるのだけど、そうならないのはむしろ不思議なことである(見落としているかもしれない。少なくとも関心を呼んでいないことだけは確かだ)。