牧師に懺悔したら通報されて逮捕された件について

痛いニュース(ノ∀`):「神様・・・私は車を盗んでしまいました」→教会が通報して逮捕


牧師が通報したらだめだろというような反応が多い。
しかし、この記事だけでは情報不足だ。


車窃盗の男、自責の念から牧師に告白も110番で御用(Sankei Web)

同容疑者はその後、教会に立ち寄り牧師に犯行を告白。教会が110番した。

牧師に犯行を告白したところ、

  • 牧師は容疑者の何も告げないでこっそり通報。容疑者びっくり。
  • 牧師は容疑者に通報すると告げ、容疑者が逃げないように拘束。
  • 牧師は容疑者に通報すると告げ、容疑者も同意。
  • 牧師は容疑者と相談の上、容疑者が牧師に通報するよう懇願した。


さまざまな可能性があり、それによって受ける印象は全然違う。


ところで、もう一つ疑問がある。
盗んだ車はその時どこにあったのか?「同容疑者はその後、教会に立ち寄り」とあるから、教会の駐車場にあるようにも見える。だがそうでない可能性もある。

 調べでは、同容疑者は1日午前1時ごろ、以前調理師として勤務していた佐賀県唐津市浜玉町の旅館の駐車場に止めてあった軽乗用車(30万円相当)を盗んだ疑い。
 同容疑者はその後、教会に立ち寄り牧師に犯行を告白。教会が110番した。
 同容疑者は9月下旬に旅館を解雇されたが、その後も車の鍵を返還していなかったらしい。
 容疑者は以前旅館に勤務しており、車の鍵をそのまま保有していた。

1日午前1時ごろ、駐車場に止めてあった自動車に持っていた鍵を使って乗った。ここまではよい。問題はそれからどうしたのかということ。
「盗んだ」という語感からは、車を自己の所有物にすることを目的に、運転して自分の家まで持っていこうとしたという印象を受ける。その途中で後悔して、教会に立ち寄ったと…
だが、何かおかしい。そうではなく、容疑者は駐車場に止めてあった車に鍵を使って乗っただけなのではないか?エンジンをふかしたかどうかさえ怪しい。深夜のことだから目撃者もいなかった可能性がある。黙っていれば車はそのまま駐車場にあって誰も気付かなかったのではないか?


しかし、神様は見ておられる。


容疑者は遊びのつもりで事に及んだのかもしれない。懐かしさのあまり乗りたくなってしまったのかもしれない。しかし、ふと我に帰り、これは「罪」ではないのかと考えた。刑法上の「罪」と、信仰上の「罪」の二つの意味で。


それで教会に立ち寄り牧師に告白した。これが友人や親族に告白したのだったら、「黙っていればわかりゃしないんだから、余計なことはするな。もうこんな馬鹿なことは二度とするんじゃない」と諭されて終りになるところだったかもしれない。なんなら旅館に謝りにいけば、それで済んだことなのかもしれない。が、相手は牧師である。刑法上の「罪」もあるが、一番重要なのは信仰上の「罪」のほうだ。「世間が許しても、お天道さまが許さない」だ(違うか)。その結果、ケジメをつけるため(社会に許してもらうというより、神に許してもらうため)に、警察に通報ということに相成ったと、そういうことなのではあるまいか?もちろんこれが「窃盗」であることには違いないけど。


と、妄想してみました。要するに記事だけでは本当のところはわからないということ。