単一民族(3)

ついでに国会で「単一民族」について言及されたのはどれくらいあるのだろうかと思って、
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面白そうなんで読みたいんだけど時間がない。でも戦後最初の「単一民族」発言が強烈だったので引用しておく。


第007回国会 考査特別委員会 第16号
本日の会議に付した事件
 日本共産党の在外同胞引揚妨害問題
 証人出頭要求に関する件

 ちよつとその前にお話しますが、私がこのマルクス主義に興味を持つたのは、十五、六のときからであります。そうしてわれわれは入ソする前から、このマルクスの広範な理論に対して非常に興味を持ち、また青年としてのいろいろなあこがれを持つておりました。そうして入ソして日本を救わんとして、その道をマルクス主義ロシア共産党によつたわけであります。われわれが日本に上陸いたしまして、なぜ転向しなければならなかつたかという問題につきまして、私は日本に上陸して、いかに日本の祖国が美しいものであつたか。またわれわれに対して示した、日本人たちの人間としての、われわれにほんとうに御苦労であつたという気持に対して、自分たちが学ばされた理論から行きますれば、結局世界を統一した一つの民族、一つの言葉、一つの文化によつて結ぶところの、単一民族を形成するのが、われわれ共産党の終局的の目的である。そういう意味におきましては、結局この日本の国、日本の民族というものをつぶさなければならない。しかしわれわれはこの美しい日本をつぶさなければならないかと思うとき――こういうことはほんとうに外国におつた者こそが初めて日本の美しさ、いかに自分が祖国を愛しておつたかということがはつきり言えると思うのです。そうして自分は日本に上陸すると同時に、日本共産党のとつておる態度がいかに大衆に愛されていないか。どうして大衆に愛されていないかという問題を考えたときに、自分ははつきりと、自分の考えをかえなければいかぬと思つたのであります。それから約一年、この事実について客観的に研究したのであります。これが現在このような行動をとるに至つたのであります。

日本が単一民族だという意味の発言は、昭和33年02月24日衆議院予算委員会公聴会が最初。昭和30年代が3件、40年代が20件、50年代が50件、60年代が49件、平成一桁が47件、10年代が52件(ただし日本についてのことであるとは限らない)