言必信 行必果(その1)

オバマ孟子引用で思い出したのは、論語「言必信、行必果」


このエピソード、ネットで検索すると、細部において異なるバージョンが多数存在するので、どれが真実かわからないのだけど、一例を挙げるとこのようなもの。


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 昭和47(1962)年9月、首相就任間もない田中角栄は訪中し、
一挙に日中国交樹立を目指した。周恩来首相から「台湾との断
交について、発表の時期を明示せよ」と迫られた田中は、「と
くかく私を信用してまかしてほしい」と粘った。

 周恩来は「ならば君を信じよう」と言い、「言必信行必果」
(言必ず信、行必ず果)と書いた色紙を田中に贈った。帰国後、
マスコミは「これこそ日中友好のきずな」と大いに持ち上げた。

 しかし、これを聞いて一人嘆いた人物がいた。「なんと情け
ないことか! 一国の首相が揶揄(やゆ)されたとは。」 こ
の言葉は、論語から採られたもので「言うことは必ず偽りがな
く、行うことは潔い」人物は、まあ士のうちに入れてもいいが、
こちこちの「路傍の石のような小人よ」と続く。


その他は、
言必信 行必果 安岡正篤 - Google 検索
で各自確認してみてください。


とにかく「論語」の「言必信、行必果」の後に「硜硜然小人也」と続くのを問題視したわけですね。


俺がこのことを知ったのは、山本七平の『「空気」の研究』で。

なぜか、私はここで周恩来首相が田中元首相に贈った言葉を思い出す。「言必信、行必果」(これすなわち小人なり)と。この言葉ぐらい見事な日本人論はない。この言葉はおそらく全日本人への言葉だと思うが、これを「小人(おっちょこちょい)」と読めば、何と鋭く日本人なるものを見抜いたものだろうと、思わず嘆声が出る。

だが非常に困ったことに、われわれは、対象を臨在感的に把握してこれを絶対化し「言必信、行必果」なものを、純粋な立派な人間、対象を相対化するものを不純な人間と見るのである。そして、純粋と規定された人間をまた臨在感的に把握してこれを絶対化して称揚し、不純と規定された人間をもまた同じように絶対化してこれを排撃するのである。

で、これを読んで、本当かいな?と思って、ネットで検索してみたというわけ。


(つづく)