信長はなぜ三郎なのか(その2)
☆仮説 その3 風の三郎
酒呑童子について述べるまえに、伊吹の弥三郎に触れておく必要がある。佐竹昭広氏の「酒呑童子異聞」の冒頭に「弥三郎風」のことが紹介され論じられている。ここにいう弥三郎は越後国の弥彦に関係のある弥三郎ではない。近江国伊吹山を中心とする口碑の主人公で、異常な力をもつ人物である。
佐竹氏の紹介する「近江源氏佐々木日記」によると。元和七年十一月二十一日に、近江国一帯に大風が吹いて、山林の大半を吹きたおした。それを「弥三郎風」といったという。大風に弥三郎という人間の名が関わりあっているのはどうしたわけであろうか、と佐竹氏はいろいろ詮索している。
伊吹の弥三郎は鍛冶神の化身であり、鉄人であったが、たいへんな乱暴者であったという伝説から、鍛冶に必要な息吹山の猛風とのつながりが生まれてくることになる。そこで伊吹山の猛風を弥三郎風と呼んだ。
伊吹山の猛風を「弥三郎風」と呼んだ。
風を「三郎」と呼ぶケースは他にもある。
⇒風三郎神社
風の「又」三郎
岩手県や新潟県など複数の地方において、風の神を「風の三郎様」と呼んで祭礼を行う風習がある。しかし、「風の又三郎」という名前で呼んでいるケースは報告されておらず、「風の三郎」を元に賢治が造語したものであると考えられている。
⇒風の妖怪−カマイタチ・一目連・風の三郎−(三浦佑之)
⇒三郎あるいは又三郎の彼方へ(三浦佑之)
風は鍛冶に必要なもの。織田氏は製鉄・鍛冶・金属民と密接なつながりがあると俺は考えている。その中で信長の弾正忠家が頭角を現したのは津島神社を支配していたことが大きいと思われるが、津島神社の祭神牛頭天王はスサノオの本地。
神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や(高天原でのスサノオの行いは暴風雨の被害を示すとする)、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、出雲の須佐郷(現在の島根県出雲市佐田町須佐)に因むとする説(スサノオは須佐郷の族長を神格化したものとする)、州砂(=砂鉄)の王という説から、意宇郡(おうのこおり)の首長とする説などがある。
スサノオはイザナギの鼻から生れた風神。大国主(大黒天)・事代主(えびす)の祖でもある。大黒天・えびすは「福の神」だが、「福」は「吹く=風」に通じるのではないかと俺は密かに思ってる。
(つづく)