石(単位)

昨日の「有職読み」で思い出したけれど、似たようなケース(常識でもなんでもないのに常識であるかのように説明される)に「石(単位)」がある。

1石は下位単位では10斗にあたり、同じく100升、1,000合に相当する。米1合がおおむね大人の1食分とされているので、1石は社会構成員1人が1年間に消費する量にほぼ等しいと見なされ、示準として換算されてきた(365日×3合/日=1095合。ただし、東アジアで広く使われていた太陰太陽暦では1年の日数は年によって異なる)。

石 (単位) - Wikipedia


このソースはおそらく井沢元彦の『逆説の日本史(1)』で、そこに、

 ここで人間が一日に食べる米の量を考えてみる。一日一食として一回一合、これだと一日二合になる。少な過ぎる気もするのでもう一合増して、一日三合としようか。すると一年は三百六十日だから、三合×三百六十日で千八十合となる。これは約一石(千合)だ。
 これは偶然の一致だろうか。実は違う。一石というのは一人の人間が一年(三百六十日)に食べる米の量を基準にして定めた単位なのだ。

と書いてある。「逆説の日本史」だから「逆説」を載せたのかといえば、そうではない。というのも、これは

板倉氏の論証は「歴史の見方考え方」(仮説社刊)に詳しく述べられているが、それを紹介する前に、少し予備知識を述べておきたい。

と板倉氏の説としてではなく、「予備知識」だとして書かれているからだ。


しかし、これは『歴史の見方考え方』(板倉聖宣)に書かれている板倉氏の説であって、定説でも常識でもない。俺の調べた限りでは、そのような説明がされている事典類は存在しない。


ちなみに一人の人間が1年に食べる米の量を一石とするというのは、吉田東伍が、日本の歴史人口を推定する際に便宜上用いたものであるが、実際吉田東伍の時代には米の生産量と人口がほぼ一致していたけれども、それはたまたま一致していただけであって、現在ではこの人口推計は修正されている。


(参考)
石高と人口


※ただし板倉氏の説が間違ってるといいたいわけではない。太古に石の単位を最初に決めた際にこういう発想があった可能性はあるかもしれない。それは俺にはわからない。しかし、仮にそうだとしても、証拠は存在しないし、その発想自体が遥か大昔に忘れ去られていて、人々の間に一石が一人が一年に消費する量だという認識はなく、基準にもなっていなかっただろうという話。


(追記5/2)
上に参考リンクを貼った「石高と人口」を書いた人は良く見ればつい先日言及した「雑記帳」の人ですね。びっくりした。