足利義昭御内書(その3)

徳川家康に発給した御内書に「然此節甲州令和談」とあり、水野信元宛てには「然此節甲州令一味」とある。


「和談」とは、徳川と武田の和談という意味であろうと解釈するのが妥当か(俺は武田と上杉の和談の可能性があると思うけれど)。


ところで、「令一味」の方は、

甲州(武田氏)を一味とさせて天下静謐への奔走をさせるべく

足利義昭、水野信元に京都から退却したことを告げ助力を求める « 歴探

そこで最近甲州武田勝頼を仲間にして、天下静謐(*1)のために奔走するよう

【寄稿14】将軍足利義昭の御内書 »»Web会員«« : 水野氏史研究会
と「武田を足利義昭の一味とする」と解釈されている。


しかし、同時に書かれた極めて類似した文書の一方には「和談」とあり、一方に「一味」とあって、その意味が全く違うというのは不自然な感じがする。


「和談」と「一味」は同じ意味を持っているのではなかろうか?


1 同じ目的をもって寄り集まった仲間。同志。また、そのような仲間に加わること。現代では、主に悪事を企てる場合に用いる。「―に加わる」「陰謀に―する」「盗賊―」

5 仏語。現象は多様であるが、実はすべて同一で、平等無差別であるということ。また、仏の救いは平等であること。

いちみ【一味】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


当時の「一味」の用例を知らないけれど、本来の意味は「平等無差別」であるからして、将軍足利義昭武田勝頼が「一味」というのも妙に感じる。


「一味」とは武田と和談の相手が「一味」(仲間)になるという意味ではなかろうか?