足利義昭御内書(その5)

もちろん御内書の内容が武田と上杉の和睦の件だとしても、それだけを説明するためにわざわざ使者を派遣したということはないだろう。


それは文書ではなく一色藤長によって伝えられたのだろう。その内容は徳川と水野に「援兵」を要求するというようなものであって、その言い伝えが綱文に影響を与えたのかもしれない。


甲越が和睦すれば武田は当然その兵力を別の方面に使用することが可能になるわけで、遠江三河方面にとっては脅威である。ゆえに武田と敵対せず同盟することを勧めた可能性はある。


徳川家について言えば、天正7年に築山事件があったが、築山殿は武田に内通していたと言われている(真偽不明だけど)。また三河一向宗の多い土地でもあった。あと三河は足利氏に縁のある土地である。それらをネタに説得工作をしたのかもしれない。


あと「天下静謐」という言葉にも注目する必要があるだろう。


【寄稿14】将軍足利義昭の御内書 »»Web会員«« : 水野氏史研究会
によれば「天下静謐」は

*1=天下静謐(てんかせいひつ)=天皇の命を受けて将軍が逆賊を退治し、全国にわたる平穏な社会状況をいう。しかし南北朝以降、天皇のためではなく「室町将軍のための天下静謐」に矮小化していた。

ということになり、信長退治的な意味合いがあるけれど、たとえば秀吉の「天下静謐」とは私闘の停止のことである。


軍事行動は将軍の命令によって行われるものであって、勝手にしてはならないということであって、武田と上杉の戦いも「私闘」であるからして、それを止めることを要求することが「天下静謐馳走頼入候」ということになるだろう。


武田と徳川の戦いも「私闘」であるからして、将軍の「天下静謐」の願いに反しているわけで、武田と上杉が和睦するということは、徳川にもまた天下静謐の圧力がかかるということにもなるであろう。


したがって「天下静謐」というだけでは、逆賊を討つ(すなわち信長を討つ)という話にはならないと思うわけで、しかしながら、そうなれば必然的に将軍義昭の命令の下で信長を討つことになろうということは予想できるわけで、そのへん直接的に言わなくても「空気読め」みたいなところはあるだろうとは思う。