鳥無き里の蝙蝠

織田信長長宗我部元親のことを「鳥無き島の蝙蝠」と評したという。

織田信長は元親をあまり高く評価しておらず、慣用句の「鳥無き里の蝙蝠」をもじって、「あれは鳥無き島の蝙蝠」と揶揄したと伝えられる[40]。

長宗我部元親 - Wikipedia

鳥がいないところでは、ただ飛べるというだけでコウモリが偉そうにする、あるいは偉そうに見えることから、ある分野に関して、本当に優れた人がいないところでは、ちょっとその分野に知識等があるだけで、その道の権威然とすることのたとえ。「鳥なき島の蝙蝠」とも。

鳥なき里の蝙蝠 - ウィクショナリー日本語版


つまり「四国には優れた武将がいないので元親のようなものでも偉そうにしていられる」というような意味だろうと一般に受け取られている。


おそらくそれが正しいのだろう。


ただ、天正三年時点で元親は土佐一国を平定しているだけだから、「島」を四国とするのなら、評価してないどころか、四国の中では一番と評価していることになるのではないかと思ったりもしないでもない。


あと、俺はアマノジャクだから、ひねくれた解釈をすれば「鳥」と「蝙蝠」は別種の生物である。すなわち「鳥」とは蝙蝠である元親と同じ武家のことではなく、権門体制論でいうところの「公家」と「寺家」のことでないかとふと思ったりする。ただし思ったりするだけ。多分間違ってるんだろう。


ところで、このとき元親家臣の中島可之介は「蓬莱宮のかんてんに候」と答えたという。
中島可之助 - Wikipedia


これが全く意味不明。