曽野綾子氏の炎上と10年前にあったこと

この前書いたことの続き
曽野綾子氏の件で思うこと - 国家鮟鱇


曽野綾子氏たちはさかうらみする相手を間違えている。 - davsの日記


この件を保守・リベラル、右翼・左翼的な立場から論じることはもちろんアリだけれども、俺はそれとは別に炎上案件としてみている。だから

「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住区だけは別にした方がいい」

この主張の是非についてはこの際論じない。しかしこういう主張をすれば、まして南アフリカアパルトヘイトの話を絡めてくれば炎上するに決まっている。批判がくるのは当たり前のことだ。


批判が来ることを承知の上でそれでもあえて主張しているのだろうと思いきや、まるで批判が来るのは予想外だったかのような反応。そして批判している連中は不当な批判をしているのだと避難する。


いつか見た光景。そう、ちょうど10年前に大きく話題になった「ネット右翼」騒動と一緒。


なぜ「ネット右翼」なのかというと、10年前にブログが流行しだして、そこでリベラルな人が万人が同意しているとは到底思われない主張を書く。それに対する批判がコメント欄に書かれて炎上する。主にリベラルが批判されているので、批判者を「ネット右翼」とレッテル貼りする。そういう現象があった。朝日新聞も特集した。


しかしブログは誰でも自由に書き込める新しいコミュニケーションツールとして注目されていた。誰かが記事を書けば、トラックバックやコメントでそれに応えようと推奨されていた。それが賛同するものだけでないということは常識的に考えればわかることだ。まして意見が鋭く対立しているような問題について発言すれば批判がくることは十分予測可能なことだ。


しかるに批判が多数あったことをもって攻撃されたとみなし、批判すること自体が良からぬことであるかのような意見が出てきた。いや正確には「批判することは自由だ」と言っておきながら炎上はけしからんという、一体どうすればいいんだって矛盾することを言う人が出てきたのだ。そういうことを言う人は、批判者が徒党を組んでいるとでも考えているのだろう。


で、10年前にはリベラルな主張の炎上が注目されたから「ネット右翼」と呼ばれた。今、曽野綾子氏が批判されているのは、「いわゆる保守」への批判ではあるけれど、それと全く同じことであり、それに対する曽野氏らの反応も10年前と全く同じ。要するにウヨもサヨも同じってこと(ただしウヨの場合は年配者が多いように感じるが)。


なお、最近になって右側が左側と同じ態度をとりだしたというわけではない。2006年には産経新聞花岡信昭氏のネットで「モーニング娘。」に書いた記事が炎上しており、そのときの花岡氏の対応が既にそうだったのであった。
花岡信昭 - Wikipedia