『信長公記』を読む(織田信長暗殺未遂事件)その5

急ぎ候間、程なく夜に入り京着候て、二条たこ薬師の辺に宿を取り、夜中の事に候の間、其の家の門柱左右にけづりかけを仕り候て、それより上総殿お宿を尋ね申し候へば、室町通り上京うら辻に御座候由申す。

急いだので、程なく夜に入り京都についた。二条の蛸薬師のあたりに宿をとった。夜中のことなので、その家の門柱に「けずりかけ」をして、それより信長様の宿を尋ねれば、室町通り上京裏辻にいらっしゃるとのことだった。


「急ぎ候間」というのは信長暗殺計画を聞いたので急いだという意味にも思えるけれど、それだと美濃衆より先に行ってしまい、宿がどこかもわからなくなってしまうのではないか。そういう意味ではなく、一行の足が早かったのでという意味だろう。


次に「其の家の門柱左右にけづりかけを仕り候て」だけど、これについてはまたあとで。ここでは一応「門柱にしるしを付けて」ということにしておく。


信長の宿を尋ねたということは、兵蔵は信長がどこに宿泊しているのか知らなかったということ。あとで「田舎より御使に罷り上り候」とあるのに宿を知らないというのは不思議。兵蔵は本当に信長への使者として上洛したのだろうか?なお信長は京都・奈良・堺見物のために上洛したのだから、平蔵は信長が京都にいることだけは知っていたということになるだろう。尾張出発時点で知ってたのかもしれないけれど、美濃衆の話から知った可能性もあるかもしれない。

尋ねあたり、御門を扣き候へば、御番を据ゑ置かれ候。田舎より御使に罷り上り候。火急の用事に候。金盛か蜂屋に御目にかゝり候はんと申し候。両人罷り出で、対面候て、右の様子一々懇に申し上げ候。則ち御披露のところに、丹羽兵蔵を召し寄せられ、宿を見置きたるかと御諚に、二条たこ薬師辺へ一所に入り申し候。家宅門口にけづり懸けを仕り候て置き申し候間、まがひ申すまじきと言上候。

信長の宿を訪ね、門を叩いたところ、門番がいたので「田舎より使者として上洛しました。火急の用事です。金森(長近)か蜂屋(頼隆)にお目にかかりたいと要求した。二人が出てきて対面し、今までの経緯を一々懇ろに(真心を込めて?)説明していたところ、(信長が)丹羽兵蔵を召し寄せされ、宿を見たのかと仰せられたので、二条蛸薬師のあたりの宿に一緒には言いました。家の門口に「けづり懸け」をしておきましたので、誤りを言うはずがありませんと答えた。


先にも触れた「田舎より御使に罷り上り候」だけれど、使いのために上洛したのだとしても、まず報告しなければならないのは「火急の用事(暗殺計画)」の方だろうから、当初の用件が何であったのかはわからなくても不自然じゃない。ただ、そういう意味ではなくて「御使」とは、まさに暗殺計画を知らせるという意味で、自分は「田舎=清洲」から来た者だという意味の可能性もなくはないように思われる。すなわち兵蔵は信長への使者ではなくて別の用で上洛したのだが、暗殺計画を知ったので信長の宿まで知らせにきただけなのかもしれない。


次にこれも先に触れた「けづりかけ」「けづり懸け」。「歴史秘話ヒストリア」では「家宅門口にけづり懸けを仕り候て」の部分を「家宅門口にけづり(門の柱を削り)」としている。そして平蔵役の役者には「間違わぬよう、宿の入り口の柱に印をつけてきました」と言わせ、門の柱にバッテンがついている。しかし原文は「削り」ではなくて「けづり懸け」である。


気になるので検索すると「削り掛け」という言葉がある。

ヤナギやニワトコなど色の白い木の肌を薄く細長く削り垂らしたもの。紙が普及する以前は御幣(ごへい)として用いられた。削り花。《季 新年》「正月も影はやさびし―/蓼太」

けずりかけ【削り掛け】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


画像で検索するとこんな感じ。
削り掛け - Google 検索


「其の家の門柱左右にけづりかけを仕り候て」「家宅門口にけづり懸けを仕り候て置き申し候」とは、この「削り掛け」を門に取り付けておきましたという意味ではなかろうか?「削り掛け」を門に取り付けるのは違和感がないことのように思われる。正月に門に吊るす風習があったようだ。


なおその場合、なぜ兵蔵が「削り掛け」を持っていたのかという謎がある。当時は普通に持ち歩いていたということも考えられるが、平蔵の上洛の目的が宗教上のものであってそれと関係している可能性もありそうに思われる。


※ ちなみに南條範夫織田信長』では「念の為にその家の左右の門柱を少し、小柄で削っておきましたから」、ネットの現代語訳では「丹羽はその宿の門柱を削って目印とし」になっている。
信長公記首巻中


(つづく)