現代の「浦島太郎」に鶴になった話が無い理由(その2)

巌谷小波が「浦島太郎」を書いた当時は、浦島が玉手箱を開けて鶴になったという解釈は存在しなかったか、または主流ではなかった。


「浦島太郎の伝説」(『伝説の誕生』中島悦次 昭13)に興味深い記述があった。
近代デジタルライブラリー - 伝説の誕生(コマ番号98)


中国の『捜神後記』にみえる話。男二人が山の中で出会った二人の女と夫婦になったが、やがて男達は帰ろうとした。女は二人に一つの袋を渡して「決して開けるな」と言った。ところが男の1人が外出しているときに家人が袋を開けてしまった。すると袋の中から青い鳥が飛び去った。男はそれを知って愕然とした。その後に家人が農作業をしている男に食事を届けに行くと男はセミの抜け殻のようになっていた。


※詳しい話は以下を参照のこと。
女神の園
青い鳥
山中の女


この話に対して著者の中島悦次は

こヽに青い鳥が飛び去つたといふが面白いことと存じます。人が死後に鳥になつて飛び去るといふ信仰は世界的の信仰で、勿論我が國にもあつたやうであります。日本武尊が亡くなつて後、白鳥になつて陵から飛び去つたといふ話は、日本書紀などに見えて居ります。

と解説する。


これは「浦島太郎の伝説」というタイトルの文に書かれていることだ。『御伽草子』の浦島太郎は鶴になったとされているのだから、それに関連してこんなことを書いたかのように思うかもしれないけれど文脈を見ればそうではない。そもそもこれは「玉手箱」について考証した章に書かれているものであって、『捜神後記』の「袋」と浦島太郎の玉手箱の類似に注目していうのである。


そして浦島太郎が鶴になったことには一言も触れていないのだ。ヤマトタケルについては触れているのにもかかわらず。だけでなく浦島が鶴になったことについて「浦島太郎の伝説」の中のどこにも書かれていない。


青い鳥の話をしておいて、浦島が鶴になったことに触れないのはどう考えたって不自然だ。


そこから導き出される結論は、昭和13年の中島悦次氏も『御伽草子』の浦島太郎が死後に鶴になったということを認識していなかったということだろう。


これはもう決定的でしょう。


巌谷小波が「約束を破ると良くない」という教訓を伝えるため、鶴になる部分をカットしたなどというのは根拠薄弱の陰謀論である


世はまさに大陰謀論時代!


素人の主張か学者の主張かにかかわらず、「○○のために改ざんした」なんて話を聞いたら十中八九間違っている、いや100のうち99は間違っていると考えた方が良いのである。