浦島太郎は玉手箱を開けて鶴になったのか?(2)

浦島太郎は玉手箱を開けて鶴になったのか?のつづき。


今までにわかったこと。

さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり、さてこそ七百年の齡を保ちけれ。明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ。

の「虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が」の「折」について。


○調べた限りでは少なくとも昭和11年までずっと「折」。「そもそも」がいつから登場したのか不明。
○「折」と「抑」を「電子くずし字字典データベース」で見たら、判読が難しそうなのもある。
○「折」とする『校註日本文學大系』の方の底本は「渋川版」。「そも/\」とする『御伽草子(下)』の底本も「渋川版」。
○普通に考えれば「抑」を「折」と誤った版が存在するか、または「折」と誤読したのが伝わっていたところ「そも/\」とある版が発見され、または注目され修正されたということだろうか?
○ただし「折」だったものが「抑」と誤読され「そも/\」の版も存在するという可能性も。もちろんそれ以外の可能性もありえるだろう。


○「折」を採用すれば「浦島太郎が鶴になったときに亀が浦島の年を箱の中にたたみいれた」と解釈できる。一方、故郷に帰った浦島が玉手箱を開けたときに亀はいないから、玉手箱を開けたときに鶴になったと解釈するのは困難だろう。


○ただし
『日本国民童話十二講』(島津久基)昭和19年

そこで御伽草子はあつさりと逃げをうつて、単に

此の筥をあけて見れば、中より紫の雲三筋のぼりけり。これをみれば二十四五のよはひも忽ち變りはてける。

とだけにしてゐる上に、その老到つた太郎に七百年の齢を保たせることによつて老衰を一變して不老長寿とし、しかもその後は亀と一対の鶴になつて蓬莱に遊んだと奇抜な説明を下す一方、

と解説している。この解釈自体が難解でちょっと理解に苦しむ。ただし島津氏は「折」を採用しつつこの解釈をしたのではないだろうかと思われる。なぜなら「老衰」になったのは玉手箱を開けた結果であり、すると不老長寿になったのはそれとは別の理由ということになろう。つまりそれが「亀の計らい」であり、「さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり」を「浦島が開けて空になった玉手箱に亀が浦島の年を入れた」と解釈したのではないだろうか?いやちょっとよくわからないんだけど…


いずれにしろ、島津氏は浦島が玉手箱を開けた後に鶴になったと解釈している。しかしながらその解釈は今の解釈とは似ているけれども違うものなのではなかろうか?


○ もうひとつ
『国語読本教材お話集. 尋2篇』(長尾豊)昭和3(1928)年に

 この箱の中には、浦島の年が入つてゐたのに、それをうつかりあけて見たものですから、こんなに年よりになつてしまつたのです。
 おぢいさんに成つた浦島は、間もなく一羽の鶴になつて、大空高くまひ上がつてしまつたといふことです。

とある。これは今の解釈とほぼ同じだろう。少なくとも昭和3年にはこの解釈があったということになるけれど、これ以外にこの解釈をしているものは近代デジタルライブラリーでは見つけることができず、『御伽草子』の「浦島太郎」を解説しているものでも、鶴については触れていないのである。



いまだに謎。