信長の岐阜改名について(その2)

沢彦が「岐阜」「岐陽」「岐山」の三案を示したというのは後世の史料に載るものだから、確かな史実だとは言い切れない。一方、以前からあったとしてこれを否定する人もいる。でも、二つの話は矛盾するというわけではない。確かに信長以前から「岐阜」「岐陽」「岐山」という言葉はあったけれど、それは五山の僧らによる雅称であって、正式な地名だというわけではないからだ。


池袋が「ブクロ」と呼ばれているからといって、秋葉原が「アキバ」と呼ばれているからといって、それと池袋がブクロという地名に変更されたというのとでは別の話でしょう。


で、「岐」とはなにかといえば「岐蘇川(木曽川)」の「岐」だと言われており、おそらくそうであろう。「岐陽」の「陽」は「木曽川の北」という意味で、今の鵜沼・岐阜一帯を指すらしい。ただし、『梅花無尽蔵注釈(市木武雄)』の注釈を見ると他にも「○陽」と呼ばれている土地はあり、


伊陽 伊勢
勢陽 伊勢
尾陽 尾張
河陽 駿河
上陽 上野国
津陽 摂津
相陽 鎌倉
湘陽 鎌倉(湘は相模の水辺の意)


となっている。この場合の「陽」は単なる美称らしい。


美濃守護土岐氏の本拠地の革手が「岐陽」と呼ばれていた。ここはまさに木曽川の北ではある。


「岐阜」という名は土岐成頼の菩提所瑞龍寺の成頼画像の賛にあり、ここでいう「岐阜」とは金華山すなわち稲葉山のことである。天文4(1535)には既に仁岫宗寿が岐阜と周の文王を関連付けている


快川紹喜は永禄4(1561)年に井口の斎藤義龍を「岐陽賢太守」と呼んでいる。「岐陽にいる太守」なのか「岐陽を支配する太守」なのかちょっとわからないけど。


そして永禄10(1567)年に信長が稲葉山城を攻略し「井口」を「岐阜」に改めた。


そこから推察するに、「岐阜」は稲葉山金華山)のこと。「岐山」もおそらく稲葉山のこと。「岐陽」は美濃の政治的な中心地を指しており、信長が改称しなくても、そこは雅称として文人が「岐阜」「岐山」「岐陽」と呼んでいただろうと思われる。ただし一般庶民もそう呼ぶかといえば、そういうわけではないのではないかと思う。


信長が「岐阜」と改めたことによって、誰もがそこを「岐阜」と呼ぶようになったのだろう。


※ なお3つの候補の中からなぜ「岐阜」を選んだのかといえば『安土創業録』に「諸人云よき」とあるけれど、「駿府」などの「府」と音が同じだからではないかと個人的には思う。


※ ところで「岐阜」はなぜ「キフ」ではなくて「ギフ」なのだろうか?
「岐阜」はどうして「きふ」ではなくて「ぎふ」と読むのでしょうか? - その他(学問・教育) 解決済 | 教えて!goo
「岐山高校」は「ぎざん」と読むのか。「岐陽方秀」って「きようほうしゅう」と読むんだと思ってたけど「ぎようほうしゅう」と読むのか(「きよう」って書いてるのもあるから定まってないのかもしれないけど)。知らなかった。