綿(ワタ)の語源について(その1)

なぜか昨日の夢に唐突に出てきたので書いてみる。

検索するとそのものズバリの「綿の語源について」(山田巌)という論文があった。
CiNii 論文 - 綿の語源について

国文学者。(1910年-1993年5月14日)

旧姓・若山。1934年東京帝国大学国文科卒。岐阜大学助教授、国立国語研究所研究員、1967年駒沢大学文学部教授、短期大学部長、88年定年退任、名誉教授。

山田巌とは - はてなキーワード


この論文によると、「外来語源考」(大槻文彦 明治17年 1884年)に

蘭語Watteに起るといへども暗合なるにや

あるという。なお論文には「Vatte」とあるが原文では「Watte」)。すなわちオランダ語語源説が明治初期おそらく江戸時代にも存在したが大槻博士はそれは偶然の一致だとみなしたということだろう。


「Watte」の意味はオランダ語のはネットで見つからなかったけどドイツ語では詰め物という意味。
Watte – Wikipedia
現在では合成繊維もあるけど昔は木綿が使われた。綿そのものも「Watte」と呼ぶらしい。なぜこれが日本語の「わた」と無関係と考えられたのか理由が不明だが、おそらくオランダ語源というのは、この論文にも書いてあるように日本で木綿の綿が広まったのが豊臣秀吉朝鮮出兵の際に木綿の種を持ち帰ってからだとされているので、この時代にオランダ語の「Watte」から「わた」になったという解釈で、しかし「わた」は古代からある言葉なので無関係だということではないかと思われる。



次に『日本外来語辞典』(大正4 1915年)には高楠順次郎博士による

『ワタ』ハ印度名Badara又Vadaraの略音ナリ

という説明があるそうだ。検索したところではサンスクリット語でbAdaraはシルクの意。(追記9/24 20:22 コットンの種子という意味もある)
Sanskrit Dictionary for Spoken Sanskrit
これ以後、梵語説が有力になったそうだ。


さらに論文には『外来語の話』(新村出 昭和19年)が引用されている。

 綿といふ語は、印度語のbadara或はvadaraの略音であると見做されている。京都の染織学者として知られてゐる明石染人氏の日本染織史にも、ワタはvadaから来たと言ってゐる。この印度語原説は賛同者もあちこちに見受けられ、人をして首肯せしめるに足る説であらう。しかしこの語の伝来の経路と時代とに就いては、なほ研究すべきものが残ってゐるやうに思ふ。又木綿の綿の輸入以前、絹の時代があり、さらに補填物といふ意味でのワタといふ語が存在して居たことは、ハラワタなどといふ語に徴しても、考慮されなければならない。英語にwadといふ語があり、柔い枯草などの詰め物或はそれを詰めることを意味し、waddingとなると詰め物、詰め綿などをも称してゐる。又ドイツ語のwatte,動詞のwattierenなどは特に音の外形が日本語と相似てゐて面白い。フランス語にもouateといふ語がある。このフランス語から英独語に入ったか、或は共同根源から派出したか、又一説によるとラテン語ovum(卵9)から出たとも言はれてゐる。之等の語原説は勿論日印関係語とは全く没交渉であるが、唯音の外形の一致によって語原説を樹てるといふことが危険であり、又確めるには非常に警戒を要するといふ一例として挙げたに過ぎない。であるから我国に於けるワタといふ語の原義を闡明すると共に、木綿といふものが我国に輸入せられた時代及び経路、且又綿の種子、綿の植物が伝来した歴史的研究を経てでないと、このき極めて重要であり、多大の興味のある問題は解決せられないのではないかと思ふ。チャ(茶)の語原については明々白々何等の疑を残してゐないが、ワタの語原説には向後なほ相当考究の余地があらふと思ふ。

これは非常に興味深い解説ではあるが、結論としては英語のwadやドイツ語のwatteは日本語のワタと良く似ているけれども無関係で、それと同じで印度語のbadaraも安易にワタの語原と決めつけることはできないということだろう。山田氏論文によれば1964年版の「Webster New World Dictionary of the American Language (College edition)」にも

英語のwadaはオランダ語、ドイツ語、スェーデン語と同系統の語であって語源は印欧語ではないと説明して

あるという。つまり英語・オランダ語・ドイツ語等はサンスクリット語と無関係。同じく英語・オランダ語・ドイツ語等は日本語の「ワタ」とも無関係。というのが主流の考え方のようだ。


しかし、本当にそうなのだろうか?学説というのはしばしば覆る。もちろんそれは日本だけのことだけではなくアメリカでも同じだろう。アメリカの辞書にそう書いてあるからといってそれが確実だというわけではないだろう。山田氏論文の最後には

私には万葉時代の人が腸(わた)と綿(わた)とを同語源と意識していたのではないかとさえ思えます。

「みなのわた」の「ワタ」「はらわた」「ほそわた」「このわた」の「ワタ」は、綿の「ワタ」と一緒に考えてみる必要がありそうです。

と書いてある。ところで英語のwadやドイツ語のwatte、「詰め物」の意味がある。すなわち単に「綿(ワタ)」として符合するだけでなく「はらわた」の「ワタ」とも符合する。これを偶然の一致とするのは早計ではないかと俺は思う。

(つづく)