久々の大物(井伊直虎は魔女?)

来年の大河のヒロイン井伊直虎はリアル「もののけ姫」だった!(夏目 琢史) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
評判はちらほら聞いていたけど、いやこれはすごい。久々の大物。


※ そもそも井伊直虎という女城主は実在したのかという問題があるけど、それはこの際おいとく。「井伊直虎 〜史実から謎を解く〜」というブログが詳しい。」

なぜ直虎は、ジャンヌダルクのように、「魔女」とみなされなかったのだろうか。

なぜそんな疑問を持ったのか、こっちが聞きたい。どこにジャンヌ・ダルクと共通点があるのだろうか?それはどうやら直虎=次郎法師が出家していることと、「戦士」だということらしいのだが、いくらなんでも無理があろう。そもそもジャンヌ・ダルクは「魔女」とみなされたのか?

シャルル7世の顧問たちは、ジャンヌの宗教的正当性が疑問の余地なく立証されたわけではなく、ジャンヌが異教の魔女でありシャルル7世の王国は悪魔からの賜物だと告発されかねないことに危機感を抱いた

これにより、異端審問ではジャンヌが悪魔と交わって取引をした魔女であると告発することはできなかった。結果的にはこのことが、後にジャンヌの正当性と聖性を証明する一助となった。

ジャンヌ・ダルク - Wikipedia
とあり、魔女だと疑われる要素はあったが、ジャンヌは異端であって、魔女とみなされてはいないように思われる。ウィキペディアだけでなく他でも同様のことが書いてある。


一方、次郎法師は出家したというだけの話である。神懸かりする巫女ならまだ魔女要素があると思うけど、出家すると超自然的な力が使えるようになるとかいった話は聞いたことが無い。伝説の世界では修行を積んだ高僧が特殊能力(法力)を使うということがあるけれど、出家しただけでそうなるとは思えない。ましてや出家した龍潭寺禅宗だからオカルト要素は少ないはず。またジャンヌは農家の娘で神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍したのだが、次郎法師は井伊家の当主の娘で後継者がいなかったので継いだのであり、自分の家を守る役割を果たしたのであって、ジャンヌのようにフランス王国を救うといったこととは全く違うのである。


全く似てない。特に出家と魔女を類似したものとする感覚を、日本のことをよく知らない外国人ならともかく、日本に生まれて30年以上の人間が持っているというのは驚くべきことではあるまいか?しかも専攻が日本史なのだそうだ。どうしてこうなった?

彼女は、「次郎法師」として宗教的な力を身につけ、一方で、「直虎」として戦国の領主として「戦士」(直虎が実際に武器をもって戦ったかどうかはわからないが……)という立場にあった。

出家したら宗教的な力が身につくのであれば、武田信玄上杉謙信その他、戦国武将にいくらでもいる。なお「魔女」はwitchの訳語で男性もwitchらしいので信玄も謙信も「魔女」であろう。

さらに、出家の身となっていれば、ほかの戦国大名たちも、そうやすやすと危害を加えてこない。

直虎が生きた時代に出家者だからという理由で攻撃をためらうなんてことがあろうか?普通に考えて否である。


全く不思議な主張である。



※ なお「悪党」や「山の民」といったキーワードから網野史学との関係を云々する人もいるけれど、網野史学といえば、日本人のほとんどが(米作)農民だったという通説の否定が有名で、となれば「山の民」(定義にもよるが)も国土の大部分が山地の日本において、特に珍しい存在でもなく従って戦国武将と山の民の関係も単に見過ごされてきただけで、特殊なものではないのではないかと思われ、

井伊直虎やその一族である遠江井伊氏の周囲を隈なくみていくと、「平地民」や「都市民」とは異なる生活形態であった、山に暮らす「山の民」の姿がみえてくる。直虎の背後にある、「山の民」の存在に気がついたとき、彼女を歴史的に把握することがはじめて可能になるように私は思う。

遠江井伊氏の周囲に「山の民」の姿が見えたとしても、おそらくは他の国衆の周囲にも探せば「山の民」の姿が見えてくると思われ。


※ ツイッターにも書いたけどタイトルの『井伊直虎はリアル「もののけ姫」だった』は明らかにおかしい。なぜなら「もののけ姫」は山の神に育てられた人間の少女であって「山の民」ではない。「山の民」はエボシ御前に率いられた集団の方であって、直虎が「山の民だ」というならエボシ御前にたとえるべき。『井伊直虎は「エボシ御前」だった』ではキャッチフレーズとして使いにくいだろうけどね。何から何までおかしいのでこんなのは些末なことではあるが。