「西上」とは何か?(その1)

元亀3年(1572年)9月から元亀4年(1573年)4月にかけて行なわれた甲斐武田氏による遠征のことを「西上作戦」という。この「西上」という言葉が気になっている。歴史好きには耳慣れた言葉だがweb版の「大辞林」「大辞泉」に「西上」という項目は無い。広辞苑にもないそうだ。


「西に上る」で「上る」とは都へ行くという意味だから、東方から都(京都)に行くという意味であろう。と俺はずっとそう考えていた。


すなわち「武田信玄の西上作戦」というのは、信玄が上洛を目指して甲斐の甲府から南進して家康領の遠江三河を攻め、さらに信長の尾張・美濃を攻め上洛する作戦を「西上作戦」と呼ぶのであろうと思っていた。近年ではこの説は疑問視され、上洛の下準備としての遠江侵攻という説もあるけれど、その場合も目的が上洛だとすれば「西上作戦」という名前もありかもしれない。しかし上洛の意図が無かったのであれば、それを「西上作戦」と呼べないのではなかろうか?と思っていた。しかるにたとえばウィキペディア

一方で、西上作戦時点での信玄の狙いは上洛ではなく、遠江三河平定であるという説もある。
西上作戦 - Wikipedia

上洛目的でなくても「西上作戦」という言葉が生きているかのような表記がある。同様の記述はウィキペディア以外でも見かける。確かに遠江は信玄領の甲斐・駿河から見て西方にあり、かつ京都方面にあるけれど、それを「西上」と呼ぶことは妥当であろうか?


現在の皇居は東京にある。東京に行くことを「東京に上る」という言い方は、昔はあったかもしれないが今言う人はほとんどいないだろう。けど「上京」という言葉なら普通に使う。また東京方面に向かう電車は「上り」で東京から離れる電車は「下り」と言う。道路も同じ(ただし国土交通省の定義では「起点」に向かうのが「上り」で起点が東京とは限らない)。たとえば大阪から名古屋に行くのに「上り電車で名古屋に行く」とは言うけれども、名古屋が大阪から見て東京方面にあるからといって「名古屋に上る」とは言わない(はず)、


だから、繰り返しになるけれど、信玄の目的が上洛では無いという立場を取るのならば、「西上作戦」ではなく「西進作戦」とか、あるいは普通に「遠江侵攻作戦」と呼ぶべきではなかろうか?ただし「西上作戦」という言葉が普及しているので、それを慣例として尊重するというのならば「いわゆる西上作戦」という表記もありかもしれないけれども、「西上作戦」という言葉はそこまでして守るべき言葉ではないのではないか。


で、ウィキペディアやその他ネット記事に「上洛を目的としない西上作戦」という矛盾した表現があるにしても、学者ならわかっているだろうと思ったのだが、学者の書いたものを見ると、明確ではないけれども、それは上洛するという意味ではないのではないかという「西上」の使用例が見られ、そうなると俺の考えている「西上」の意味の方が間違っているのではないかと不安になってくるのである。しかし一方では、どう考えても「西上」はやはり「東方から京都に行く」という意味であろうと思うのであり、わけがわからなくなってきたのである。


(つづく)