「西上」とは何か?(その3)

さらに追加。平山優氏の『武田信玄』に

いずれにせよ、武田信玄の西上は上洛が目的であり、その前提として信長を滅亡させるべく進軍中であることは、当時の人々に広く信じられていた。

とある。繰り返すが、俺は「西上」とは京都に行くことだと考えており、別の言い方をすれば京都を目的地としない「西上」など無いのであって、そういう考え方からすれば「西上は上洛が目的」などというのは、何とも不可解な表現に感じてしまうのである。


しかしながら、多くの学者がこのような表現をしている。すると俺の考えが間違っているのだろうか?全く納得がいかないのだが…


一方、奥野高広氏の人物叢書武田信玄』には

信玄の西上作戦は、元亀三年とあるのが通説。しかし前年にも三河吉田城まで進撃するが、発病して撤収。

とある。この前年の進撃というのは近年は否定されていると思われるが、それはこの際関係ない。ここで重要なのは、この記述の上部に「信玄第一回の上洛作戦」と書いてあることで、すなわち「西上作戦=上洛作戦」ということになる。ただしこれは奥野氏が西上作戦の目的が上洛作戦だったと考えているに過ぎない可能性もある。しかし、

信玄の遠江進撃は、上洛を直接目標とする作戦ではないとの新説がある。

と書かれており、この部分、小和田氏や平山氏流に書けば「信玄の西上作戦は、上洛を直接目標とする作戦ではないとの新説がある」とも表記可能なところを、「西上作戦」ではなく「遠江進撃」と書いているのは、「西上」の意味を「京都に行く」と考えているからではないかと思う。だが確かなことはわからない。


(つづく)