そろそろ一区切りをつけないと先に進まない。だがこんだけ長々と書くのは、俺から見れば明らかにおかしいだろと思う「西上」の使用法を学者でさえ用いているからだ。学者に立ち向かうにはこんだけ説明してもまだ足りないのだろう。史料から「西上」その他の使用例を抽出して検証するくらいのことをしなければならないのかもしれない…
とにかくまとめれば
「東下」とは京都から東方へ行くこと。
「西上」とは東方から京都へ行くこと。
「東下」は出発地が京都
「西上」は目的地が京都
単純化すれば
「下」は京都から
「上」は京都へ
のぼる 地方から都へ行く。上京する。上洛する
くだる 都から地方へ行く。
(大辞林 第三版)
上も下も京都が基準。「東下」が「京都から東方へ行くこと」だからといって「西上」を「東方から京都方向(のどこか)に行くこと」とするのはおかしい。
「東下」の目的地は「東」で具体的にどこだと決まっているわけではない(関東地方が多いのではないかと思うが)。
「西上」の出発地は「東」のどこかであるが、目的地は基本的には京都という特定の場所(畿内や上方という使用例もあると思われるが)。
したがって、甲斐の武田信玄が遠江・三河攻略を目的として進軍しても、それは「西上作戦」ではない。
武田信玄の目的は上洛だというのが定説だったから「西上作戦」と命名されたのである。
それを否定するのなら
「信玄の西上作戦の目的は上洛ではなかった」ではなく
「信玄の遠江・三河侵攻は西上作戦ではなかった」と言うべきである。
ということで、「西上」とは何かというテーマについてはおしまい。
次からは、「福島正則の西上」について。
(つづく)