知ったことではない

hamachan先生にこんなこと言われちゃった。

りふれは内部の、金融政策も財政政策も認める穏健派と、金融政策のみを認め、財政政策を罵倒する過激派の関係など、私の知ったことではありません。

「りふれは」の自業自得的オトモダチ効果: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

でも、オトモダチって何をもってオトモダチなのか?何をもってオトモダチじゃなくて敵で罵倒して良い相手なのかが、謎すぎるわけですよ。このあたりが「りふれは」の「りふれは」たるところじゃないかと俺は思ってるんですけど、hamachan先生は関心ないみたいですね。


※ おそらく原田氏自身は「りふれは」のオトモダチという感覚はなく、勝手にオトモダチ認定されたんだと思いますけどね。hamachan先生だって名指しで「りふれは」批判してなければ「オトモダチ」認定されてたかもしれないですしね。彼らのオトモダチの範囲はおそらく伸縮自在でありましょう。

※かつてbewaad氏は金融理論の意見の違いで敵認定されたというよりも、陰謀論をたしなめたことで敵認定されてましたしね。


※ 原田氏がリフレ派であることも疑いないし、原田氏が失言したのは疑いないし、失言の原因が特定の視覚からのみ見てるのもおそらくそうだろうと思うけれど、ただ「リフレ派」の多くが持ち合わせている絶対真理の感覚と、そこから派生する他者への過激な攻撃という性格を持ち合わせているのかは、この発言だけではわからないし、検索してみた限りでは、その手の人達と共通の性質は今のところ見いだせてないので、原田氏への批判はの範囲は、慎重さにかける発言をしたということと、本当にナチスの経済政策は正しかったのか?という点のみであり、稲葉氏と同列には語れない(念のために繰り返し書くけど、主張の違いではなく絶対真理の感覚という点で)と思うのであります。


で、「りふれは」が外部から批判されてざまあみろと思ったところで、当の「りふれは」の人達は(原田氏が「りふれは」なのかは微妙だから除外するけど)、その批判で反省するとも思えず、バカが不当な批判してると考えてるのは疑いのないところだと思いますけどね。



あと、考えれば考えるほどナチスの経済政策は「正しい」とは思えず、これは要するに戦時体制であり、一部にナチスの経済政策は戦争を目的としたものという主張があるけれども、戦争を目的としてなかったとしても、これは言ってみれば「(疑似)戦時体制」みたいなもので、戦時体制ではあるけれども戦争はやらないという可能性もありえるけれども、結局戦争に突入していたったわけで、そうならざるを得ない理由がナチスの経済政策には内包されてたということになるのではないかと思いますね。

(追記)念のために書いとくけど、ナチスの経済対策が「正しい」とは思えないというのは、俺がいわゆるリフレ政策に否定的だからという意味じゃなくて、リフレになってないという意味ですから。


ということで、
実際に戦争をする必要はないんじゃないか: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
ということに行き着くであろうと思いますね。



(追記)俺はリフレ派の論客の多くに見られる(もちろん例外はいるんだろうけど)、自身への批判(金融理論のみでなく、方法論その他なんでも)が少しでもあれば、それに対して過激な攻撃性を発揮することが主な関心対象なんだけれど、hamachan先生の場合そうではなく、金融政策を最重要視し、それ以外の要因を軽視する傾向にある人を「りふれは」と呼んでるような感じがする。けど、それはそれで一つの意見であって、その意見に反対であっても、それでもって人格まで問題視するような話になると、それはそれでリフレ派の人達と近いように思うんですけどね。
マシナリさんを絶望させる「りふれは」の惨状: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
これを読んでも俺には原田氏が他のリフレ派と同類のようには見えないんですね。そりゃ原田氏の主張に腹を立てる人がいるのは確実でしょうけど。でも、批判してる方がむしろ「俺様だけが正しい」になってるような感じがしてしまうんですけどね。