『付喪神記』と『百鬼夜行絵巻』(その1)

図書館で『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』(河出書房新社 2007)と『百鬼夜行の見える都市』(田中貴子 1994 文庫版2002)を借りてきた。最初は付喪神に対する関心しか無かったのだが、付喪神と『百鬼夜行絵巻』には密接な関係があるので、こっちにも関心が湧いてくる。あと、これまでは文章中心の関心だったけど、絵についても考えなければならない。


『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』所収の「前説『百鬼夜行絵巻』はなおも語る(田中貴子)」に

論じられるのはもっぱらその「美術的価値」であり、なぜこのような奇妙な絵巻が生まれたのかという疑問さえ投げかけられてはこなかったのである。

とあり、これは1994年頃の話であろうから。それから既に20年以上が経過しているとはいえ、まだまだの部分があるのだと思われる。実際、『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』で読むに値するのはこの田中氏の書いたもので、あとは小松和彦氏のもあるけど、それ以外は実証的とは言えないように思う。で、その田中貴子氏の主張にしても俺には説明が足りないというか納得いかないというか不満な部分がある。


その第一は、「付喪神とは何か?」ということ。といっても付喪神はどのようにして誕生したのかといったような意味ではなく、絵巻に描かれている妖怪のどれが付喪神でどれが付喪神ではないのか?という問題。田中氏は

百鬼夜行絵巻」の妖怪はすべてこの付喪神がベースなのである。後述のように「百鬼夜行絵巻」も系統や時代が変わればさまざまに変化をきたし、必ずしもすべての妖怪が付喪神ではないものも出てくるが、かりに真珠庵本に限ったとすれば、明らかに付喪神の行列が描かれているとしか考えようがないのである。

という。しかし付喪神」と「付喪神ではないもの」の区別はどうしてつけられるのだろうか?俺は『百鬼夜行絵巻』と呼ばれる絵巻のごく一部しか見てないので何とも言えないところがあるけれど、たとえばこれは器物の変化したものではなく動物の変化したものだとかいった説明が付いてれば、それは「付喪神ではないもの」だとわかるけれども、説明がなければ見た目だけでわかるものではないと思う(ただし例外があるかもしれない、というのは後で説明する)。※なおややこしいけど「付喪神」に年を経た獣が変化したという定義がある場合もある。


で、これは非常に重要な問題なのだ。


付喪神」で画像検索すると、その多くが器物の形を有した妖怪の画像である。しかしながら、それは付喪神の一つの形態に過ぎないのだ。


そして、『付喪神記』の絵巻において、付喪神が器物の形態を有しているのは基本的には最初の方だけなのだ。


(つづく)


※ なお『付喪神記』本文に「付喪神」という言葉は出てこないので妖怪の名前は「付喪神」ではないという話もあるけど。ややこしいのでここでは「付喪神」としておく。