『付喪神記』と『百鬼夜行絵巻』(その3)

妖怪達が「舞、酒宴、遊戯」する場面で、彼らの容姿は器物の容姿を有していない。次に

やがて此の山の奥に社壇を建てて、その名を変化大明神と号し奉る。立烏帽子の祭文の督を神主とし、小鈴の八乙女、手拍子の神楽男などさだめおきて、朝に祈り夕に祭り申す事、猛悪不善の妖物とは申しながら、信に傾く志、かの盗跖が五常の法に相似たるかな。


そして「夜行」の場面

余社の法例に准じて、祭礼行ふべしとて、神輿を造立し奉る。頃は卯月始めの五日、深更に及びて、一条を東へ幸行なす。山をつくり、鉾をかざる。様々の風流美を尽し、善を尽せり。






(画像が切れてるので全体を見るには「国立国会図書館デジタルコレクション」にアクセス)

この祭礼の場面でも彼らは見た目では元は器物だったとは全く想像できない姿になっている。


ただし、例外があり、一番最後の画像の左端にいる2体の妖怪(一つ目・扇)は器物とまでは言えないけれども、少し微妙な姿をしている。

そして次の画像

ここには明らかに器物の姿をした妖怪がいる。

これをどう解釈すべきか?


俺の解釈では、この場面は

関白殿下、臨時の除目行はれむがために、一条を西に達智門より御参内ある所に、件の祭礼と行きあひ給へり。前駆の輩、馬より落ちて絶入す。その外の供奉の人々みな地に倒れ伏す。されども殿はちとも騒ぎましまさず、御車の内より、化生のものをはたと睨み給へり。不思議なる事には、はだの御守より忽ちに火炎を出す。其の火炎、無量の火村となりて、化生の者に負ひかゝる。化生の者転び倒れて述げ失せけり。

という場面であり、関白殿下の肌のお守りから発した火炎が妖怪共を襲っているところであるから、この火炎のために妖怪の姿が元に戻ったということではないかと思う。


今昔物語集』等に登場する従来の器物の妖怪は、人などの姿に変化してもまた元の器物に戻る。それに対して『付喪神記』の妖怪は一度変化したら元に戻らない。と俺は考えていた。

器物たちは物語序盤で妖物へと変化してから、その後一切もとの姿に戻るということがないのである。変化譚における共通認識として、変化後の姿はあくまでも一時的な仮の姿であって、物語の最後には元の姿に戻っているのが一般的であった。特に、変化が攻撃を受けた場合はそれが引き金となって正体が判明するものであったが、『付喪神記』の妖物たちは護法童子の輪宝と火炎による攻撃を受けても、まったく元の姿に戻る気配がない。『付喪神記』における妖物への変化は、もはや仮の姿などではない、不可逆的な変身として描かれているのである。
『太平広記』の「精怪」譚から見た日本の器怪譚と『付喪神記』(pdfファイル)

こういう説明もあるから、そうだと思い込んでいた。ところがどうやらそうではなく、完全に元の器物に戻るわけではないけれども、(国会図書館本系統では)器物が妖怪になる過程を「進化」と呼ぶならば「退化」と呼べる現象が起きるようだ。


同じことは「下巻」で護法童子が妖怪を攻撃する場面でも見られるので、この解釈が正しいのではないかと思う。


なお、一つ目妖怪はその後の妖怪達の寄り合いの場面にも登場し、再びの「進化」はしてない模様。

この一つ目が、器物の形態を有した妖怪なのか、そうでないのかは上にも書いたが微妙。

(つづく)