『付喪神記』と『百鬼夜行絵巻』(その4)







(画像が切れてるので全体を見るには「国立国会図書館デジタルコレクション」にアクセス)

再び「付喪神」の行列。

昨日書いたように一番下の画像の左の2体が火炎によって元の姿に戻ったものだとすると、それ以外の行列に参加する「付喪神」は元の器物の形態を全く有していない。


ところで、田中貴子氏は『百鬼夜行絵巻』について

百鬼夜行絵巻』は『付喪神記』の一部が絵巻として独立した結果生れたものと考える。すなわち、絵と本文から成る『付喪神記』から絵の一部だけが切り離されて、一巻の絵巻へと成長したということである。
「『百鬼夜行絵巻』はなにを語る(<特集>絵画とことば)」

と主張する。しかしながら下の画像を見れば明らかなように百鬼夜行絵巻』の妖怪は器物の形態を有している

国際日本文化研究センター蔵『百鬼夜行絵巻』)


よって『付喪神記』と『百鬼夜行絵巻』の間に関係があるとしても、絵の一部だけが切り離されたという単純なものではない。

百鬼夜行絵巻」の妖怪はすべてこの付喪神がベースなのである。後述のように「百鬼夜行絵巻」も系統や時代が変わればさまざまに変化をきたし、必ずしもすべての妖怪が付喪神ではないものも出てくるが、かりに真珠庵本に限ったとすれば、明らかに付喪神の行列が描かれているとしか考えようがないのである。
「前説『百鬼夜行絵巻』はなおも語る(田中貴子)」(『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』)

というけれども、器物の形態を有している妖怪は『付喪神記』(国会図書館本)には出てこないのだ。ここは非常に重要な点だと思うけれど、見た限りの論文ではそれが指摘されていない。



それともう一つ。『付喪神記』で行列に参加してる妖怪は全部で39体(馬と鹿を咥えれば41体。火炎から逃げてると思われる2体は除く)。ところが既に書いたように、捨てられた器物が「評定」してる場面では16〜17体。(「数珠の入道一連」と弟子が抜けて)節分の夜に妖物となった器物たちは全部で15体。宴の場面では13〜14体。39〜41体では多すぎるのではないか?これについても見た限り何も論じられてないけれども研究者はどう考えているのだろうか?何も考えてないのではないか?


俺はこれは一つの行列ではなく三つの行列であろうと思う。一条通りの付喪神の行列は三つの形態に変化したものだろう。最初の行列は13体(馬を含む)。それが次の行列に変化して15体(ただし4足の馬が消えてる。獅子舞は2体と数えたが1体かもしれない)。さらに変化して13体(鹿を含む)。数が一致しないけれどもおそらくそういうことだろう。もちろんそうだとすれば三つの行列は装束等が変化してるだけでなく、妖怪の姿も変化しているということになる


こういう重要な点が論じられてない(少なくとも見た限りでは)ので、『付喪神記』研究(および『百鬼夜行絵巻』研究)もまだまだだと思うのである。


(つづく)