『付喪神記』と『百鬼夜行絵巻』(その9)

あと『百鬼夜行絵巻』で思うのは、たとえばこれ。




上が昨日紹介した日文研本で下が東博模本。見ての通り、上の妖怪が下では蛸の妖怪になっている。ただし妖怪のポーズに変化はない


で、それはそれとして、その妖怪と亀に乗った蛙の妖怪との位置が異なる。『百鬼夜行絵巻』諸本を比較すると、このように、見た目が同じ妖怪のいる場所が異なっていることがよくある。


場所が異なっていると、絵巻の物語の解釈も変化する場合があるし、何より他の妖怪との相対的な位置関係によって不自然に見える場合もある。ところが上の画像のようにポーズには一切変化がないというケースが多い。現代の同人誌の二次創作などは漫画やアニメのキャラクターを自由自在に動かしている。絵巻の場合も「〇〇の妖怪」に首の曲げ方や手足の動きなど様々なポーズをとらせて不自然さを解消することは可能なように思われるが頑なに変化させない。せいぜい左右反転がある程度。


これも『百鬼夜行絵巻』を考える上で重要なポイントなのではないかと思う。


俺が思い浮かべるのは、子供の頃にやったシールを使った遊び。怪獣などのシールを貼って一つの物語を作る。今だったら「妖怪ウォッチ」のシールとか。

シールだからポーズを変えようがない。その制約の中で位置の工夫をして物語を作る。

あるいはウルトラ怪獣の人形とかも。

ウルトラ怪獣シリーズ 14 レッドキング

ウルトラ怪獣シリーズ 14 レッドキング

今は関節まで動かせる精巧な人形があるかもしれないけど。


百鬼夜行絵巻』を見ていると、そういう子供の頃にやった遊びを思い出す。なぜポーズを変化させないのか?変化させてはいけないルールでもあるのか?このあたりを考えてみる必要があるのではないかと思う。


一方、例外もある。たとえば角盥(つのだらい)の妖怪。

日文研本)


この妖怪は『土蜘蛛草子』等の他の絵巻にも登場し、様々なバリエーションがある。

兵庫県歴博本)

古くからいる妖怪だから著作権切れで改変自由だったのだろうか?というのは冗談だけど、そこらへんも考えてみる必要があるだろうと思われ。
(いやマジで個々の妖怪の商標権を所有する者がいた可能性もなくはないのではないかと思わなくもない)


他にも琵琶の妖怪も別のポーズしてるものがある。『鳥獣戯画』の動物達に似た妖怪は自由なポーズを取ってるのか雛形があるのか未検証。