アゴラの呉座氏の井沢元彦批判は適切か?(追記)

gryphonさんが紹介してくださった。最初誰かと思ったんだけど「見えない道場本舗」さんやね。

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さて、上の記事を読んで、井沢元彦氏の言う「状況証拠」なるものが見えてきた。

山本勘助もかつては実在しなかったとされていた。明治時代の東京帝国大学教授で、歴史学会の大御所田中義成は江戸時代の大名が「山本勘助は信玄の側近ではない。その家臣の山県昌景の身分の低い家来に過ぎなかった。ところが勘助の息子が僧侶で父親の活躍を大げさに書いたのが『甲陽軍鑑』だ」という説を丸呑みにして「偽書説」のさきがけとなった。もう、ずっと昔に死んでしまった人だが、私は初めてこの説を読んだ時「東大教授かなんだか知らないが、本当に常識のない人だな」と思ったものである。お分かりだろうか。息子が父親を顕彰するために書いたのなら、「敵将に父親の勘助が作戦を見破られ死んだ」と書くはずがないし、百歩譲ってそれを認めたとしても「勘助は責任を感じ立派な最期を遂げた」と かくだろう。しかしそんな記述は「甲陽軍鑑」には全くないのである。

 なるほど、これを鵜呑みにすればもっともな「状況証拠」だ。ただし田中義成が主張したのは、『軍鑑』の作者は小幡景憲で、勘助の息子の僧侶が書いた覚書を小幡景憲が取り入れたということ。したがって勘助の息子の意向が完全に反映されてるとは限らないとはいえる。

 

とはいえ小幡景憲甲州流軍学の祖。勘助にとって不都合なことを書くのかという疑問はもっともなことだ。ただし信玄の失敗を勘助に押し付けたと解釈できないこともないのではないか?

 

この「状況証拠」をもって、田中説が間違ってると言い切ることはできないと思うけれど検討するに値することではある。そういう意味では井沢氏にしては鋭い指摘だと思う。

 

ところで「逆説の日本史特別番外編 甲陽軍鑑偽書説の崩壊について」にとっても気になる部分がある。

ところが現在はその小和田名誉教授も、同じく日本中世史の権威である黒田日出男東京大学名誉教授も 「甲陽軍鑑」を史料として高く評価し「偽作の疑いをかけた人はナンセンス。生きた戦国時代の叙述」であるとまで言い切っているのだ。

   確認したら本当に黒田日出男氏が「歴史秘話 ヒストリア」でガチでそう発言していた。

「偽作の疑いをかけた人はナンセンス。生きた戦国時代の叙述」

「かけた」と過去形で言ってるので、現在の研究状況で偽作説を支持してる人のことではない。過去に唱えた人をナンセンスだと批判しているのだ。(文脈的に考えて)新しい史料が発見されてなんて話でもない。とても驚いた。

 

こうなると学者と作家の間の問題ではなくて、学者と学者の間の問題でしょう。

 

ちなみに同番組で小和田哲男氏は「歴史家は明治以来 あれは偽書だという言われ方をしていたので まともに甲陽軍鑑とつきあうというか 甲陽軍鑑の中身について 事細かに研究する姿勢が無かった」と発言している。

 

 

まあだからといって井沢氏の「証拠がなければ絶対に認めない」とか「手のひらを返した」とかいった批判は、それは(事実として)違うだろと言うしかないし、それに対する呉座氏の批判もまた適切なものではないというしかない。

 

 

どんどんこんがらがっていくが、とにかく、これは学者と作家の問題なんてものではないのだ。

 

 

※ ちなみに俺は現在の状況においてもなお『甲陽軍鑑』はやっぱ小幡景憲が大部分を書いたんじゃないの?と疑ってたりする。