取り消しできなかった謎

 これについては各社ほぼ同じ。一番早かったのは朝日だと思われるのでそれを引用。
東証、誤発注のジェイコム株売買停止に 事態収拾見えず

コンピューター上では、「1円」で出した売り注文の価格がストップ安となっていた市場価格「57万2000円」に自動更新されていたので、取り消し注文は「57万2000円」で出さなければならなかった。ところが、みずほ側がそれに気づかず、「1円」のまま取り消し注文を出したので、取り消しが効かなかった。このため誤発注の収拾策として買い注文を出し始めた。

 この記事の日付は「2005年12月09日11時35分」。ところが、その前にこういう記事が「ラジオNIKKEI」にありました。
誤発注問題東証会見「決済は小手先でない処理必要」

みずほ証券側からの注文取消が上手く作動しなかったことについて東証側は、「67万2000円で初値がついた後は、1円の注文が値幅制限の下限の57万2000円の注文に変換されるが、みずほ証券側は取り消しの指図を1円で行ったのではないか。板情報は57万2000円に入っているので1円で探しても発見されないことになる」と話している。

 この記事はYahoo!ニュースで「12月9日3時51分更新」です。

 朝日の記事では、この情報の出所が書いてないのですけれど、こちらには「東証」とはっきりと書いてあります。出所が「東証」であるのと「みずほ証券」であるのとでは、話が大きく違ってきます。しかも「ラジオNIKKEI」によると、東証側は「みずほ証券側は取り消しの指図を1円で行ったのではないか。」という推測を述べたにすぎません。
 それはそうでしょう。東証側が、みずほ証券のシステムに精通しているとは思えません。

 ちなみに、Yahoo!ニュースで12月9日15時54分更新の産経新聞の記事も、
みずほ証券誤発注 買い残し分損失90億円超

東証によると、取り消しができなかった原因はこうだ。
 みずほ証券の注文は一円での売りだったが、これに買いが殺到し、注文は値幅制限下限の五七万二〇〇〇円に変換された。みずほ証券は五七万二〇〇〇円の売り注文を取り消すべきところを、一円の注文を取り消そうとしたため、プログラムは反応しなかった。
 この間、東証側は対応をせかしたが、みずほ証券は「今やってます」と返答。東証は待ち続けた。そのうち、みずほ証券は発注取り消しをあきらめ、九時三十七分買い戻しに動いた。東証は誤発注に直接起因する混乱は収束に向かったと判断した。

と、「東証によると」となっています。

 では、みずほ証券側は何と言っているかというと、
みずほ証が60万株誤発注=損失300億円にも−新規上場のジェイコム株売買(時事通信)

同社長によると、初めて売買が成立した午前9時27分ごろ、61万円で1株を売るところを1円で61万株売ると誤って入力。直後にミスに気付き、取り消そうとしたが東証の売買システムに認識されず、買い戻す処理に切り替え61万株の大半を買い戻した。

みずほ証券、誤注文で270億円の損失(ロイター)

福田社長の説明によると、午前9時27分に営業職員が誤って「1株61万円」の売り注文と本来入力すべきところを「61万株1円」と入力。1分25秒後にアシスタントが誤入力に気づき、取り消しの手続きを数度取ったが、東証のシステムに認識されなかったとした。

 と、「東証のシステムに認識されなかった」と言っているに過ぎません。なお、
みずほ証券誤発注 買い残し分損失90億円超

 注文の取り消しがうまくできなかったのは、東証の定めた作業手順とみずほ証券側の手順に食い違いがあったためという。みずほ証券東証のどちらに責任があるかについて、横尾敬介みずほ証券副社長は「完全にどちらに非があったとはいえない」と述べた。

 「完全にどちらに非があったとはいえない」と、みずほ証券副社長は述べていますが、それが「手順の食い違い」であるかのように、記事からは窺えますけど、それは産経記者が二つの要素をつなぎ合わせているだけだと思われ、副社長の発言がそのことを指していると判断するのは危険であると思います。

 この件について、俺は昨日の記事で疑問を書きましたが、取り消しができなかった理由が、本当に「システムの違い」という、ブログ界でも広く流通している理由であるのか、かなり疑わしく思っています。

2006年は保守主義vs新自由主義

予想つうか、そうなってほしいと思っています。
 俺はもう左翼は必要ないと思います。この場合の左翼というのは、社会主義共産主義のことを指しますが、これらは日本では泡沫的存在として定着しつつあり、復活することはないでしょう。これは今に始まったことではなく、時勢の流れというものであり、とっくにこうなっているべきであったものが、いよいよ訪れたという感じです。滅亡することはないでしょうけど、現実との乖離は著しく、これらを支持する人達が声を大にすればするほど、一般大衆の支持は離れていくでしょう。
 一方、彼らの一部は「社会民主主義」路線ということを唱えますが、「社民」「共産」両党は、最終的な目標としては社会主義共産主義を目指しているのでしょうが、それは夢のまた夢であり、現実的には今までも「社会民主主義」的な主張をしていたのであり、要するに現実的には何ら変化はないわけで、これもまた国民の支持を得られていないのは明らかです。もちろんこれからもメディアでは左翼的主張が大きな顔をして登場するかもしれませんけどね。
 今の日本は「小さな政府」を目指す「自公連立」と「民主党」の二大勢力が国民の支持の大部分を占めています。それはなぜかというと、最大の理由は巨額の財政赤字で、もはや「バラマキ政策」ではやっていけないことが誰の目にも明らかだからでしょう。これもまた今に始まったことではなく、少なくとも1980年代には始まっていたことであり、やっとそれが軌道に乗ってきたという感じです。
 
 しかし今までの対立の構図が「保守与党」対「革新野党」であり、それが長い間続いてきたために、「革新」が泡沫勢力になったにもかかわらず、「対立」といえば「革新勢力」が実際よりも遥かに巨大な存在として立ちはだかり、それに対して「保守勢力」は大同団結して立ち向かうという図式がいまだに続いています。実際には「保守」と「革新」の境界は、大きく左にズレています。左翼は現状を「大政翼賛的」などとよく批判しますけど、それはある意味当たっていて、本来対立すべきは、巨大な「保守」と、ちっぽけな「革新」ではなく「保守」内部で考え方の違いから対立すべきだと思います。これはもちろん「革新」の側に立って言っているのではなく、様々な考え方の人が存在する「保守」が、「革新」という「仮想敵」によって一致団結する必要は薄れてきたと考えるから、そう思うのです。

 というか「保守」内部の分裂はすでに始まっています(ちなみにここで俺が「保守」と言っているのは上に書いたような意味の「保守」であり要するに「反左翼」と同義)。一概に「保守」といっても、内部には様々の人がいます。様々すぎてここで書くと長くなるので省きますけど、大きい区分としては「保守主義」と「自由主義」の違いが、これから大きくクローズアップされてくるでしょう。どちらも「小さな政府」を目指しますが、なぜ「小さな政府」を目指すのかという理由には大きな違いがあると思います。また上の「保守主義」とは違う、むしろ「大きな政府」を志向しているのではないかと思われる「保守主義」もあります。これらの違いは段々鮮明になりつつありますが、今までの対立構図が「保守対革新」というあまりにも正反対な二つの勢力の間の対立であったため、自分と異なる意見があると即「左翼」のレッテルを貼ったりして、まともな議論が成立していないように見受けられます。

 そろそろ影響力の薄れた古い「左翼」を攻撃することにエネルギーを注ぐ時代は終わり、新しい「対立」の時代がきているのではなかろうかと思います。「対立」というとマイナスのイメージがありますけど、もちろん協力できるところは協力しあって、そうでないところでは対立するのが、成熟した社会であろうと思います。対立を避けるために馴れ合ったり、逆に今までの民主党にありがちでしたけど、独自性を出そうとして、たとえば郵政民営化に賛成のくせに反対するなどという馬鹿げた真似は止めるべきであり、本当に対立すべきところで対立すべきであると思います。


 とは言え、長い間「保守」とは「反左翼」のことであり、それで団結してきた以上、考え方に違いがあるといっても、はっきりとした違いがわかりません。「旧橋本派」は「抵抗勢力」なんて言われて、ある程度傾向というものがあるようではありますけど、実際はそうとも限りませんし混沌としています。他人から見てもわからないでしょうし、本人さえ自分の立ち位置がどこにあるのか良くわかっていない人も多いでしょう。俺も実のところ自分では「保守主義者」と思っていますけど本当は「何主義」なのかよくわかっていません。それなりに調べてはいるんですけどねえ…

 
最後にウィキペディアで参考になりそうなところをリンク

保守
新保守主義
自由主義
新自由主義
リバタリアニズム

うーん、無知だからよくわからん。良い解説本等があったら教えてください。

それにしても「新自由主義」の項、

新自由主義に現れる特徴は、大企業の横暴への正当化と、労働者への抑圧(例:日本の産業再生法、韓国の整理解雇法)とも言われ、世相は僅な「勝ち組」と大多数の「敗け組」に象徴される。これは、新自由主義が「弱者・小さい者には死を、強者・大きい者には生を」との発想に基づいている為である。

って、なんかすごいこと書いてあるけど、これでいいのだろうか?

2006年は保守主義vs新自由主義

予想つうか、そうなってほしいと思っています。
 俺はもう左翼は必要ないと思います。この場合の左翼というのは、社会主義共産主義のことを指しますが、これらは日本では泡沫的存在として定着しつつあり、復活することはないでしょう。これは今に始まったことではなく、時勢の流れというものであり、とっくにこうなっているべきであったものが、いよいよ訪れたという感じです。滅亡することはないでしょうけど、現実との乖離は著しく、これらを支持する人達が声を大にすればするほど、一般大衆の支持は離れていくでしょう。
 一方、彼らの一部は「社会民主主義」路線ということを唱えますが、「社民」「共産」両党は、最終的な目標としては社会主義共産主義を目指しているのでしょうが、それは夢のまた夢であり、現実的には今までも「社会民主主義」的な主張をしていたのであり、要するに現実的には何ら変化はないわけで、これもまた国民の支持を得られていないのは明らかです。もちろんこれからもメディアでは左翼的主張が大きな顔をして登場するかもしれませんけどね。
 今の日本は「小さな政府」を目指す「自公連立」と「民主党」の二大勢力が国民の支持の大部分を占めています。それはなぜかというと、最大の理由は巨額の財政赤字で、もはや「バラマキ政策」ではやっていけないことが誰の目にも明らかだからでしょう。これもまた今に始まったことではなく、少なくとも1980年代には始まっていたことであり、やっとそれが軌道に乗ってきたという感じです。
 
 しかし今までの対立の構図が「保守与党」対「革新野党」であり、それが長い間続いてきたために、「革新」が泡沫勢力になったにもかかわらず、「対立」といえば「革新勢力」が実際よりも遥かに巨大な存在として立ちはだかり、それに対して「保守勢力」は大同団結して立ち向かうという図式がいまだに続いています。実際には「保守」と「革新」の境界は、大きく左にズレています。左翼は現状を「大政翼賛的」などとよく批判しますけど、それはある意味当たっていて、本来対立すべきは、巨大な「保守」と、ちっぽけな「革新」ではなく「保守」内部で考え方の違いから対立すべきだと思います。これはもちろん「革新」の側に立って言っているのではなく、様々な考え方の人が存在する「保守」が、「革新」という「仮想敵」によって一致団結する必要は薄れてきたと考えるから、そう思うのです。

 というか「保守」内部の分裂はすでに始まっています(ちなみにここで俺が「保守」と言っているのは上に書いたような意味の「保守」であり要するに「反左翼」と同義)。一概に「保守」といっても、内部には様々の人がいます。様々すぎてここで書くと長くなるので省きますけど、大きい区分としては「保守主義」と「自由主義」の違いが、これから大きくクローズアップされてくるでしょう。どちらも「小さな政府」を目指しますが、なぜ「小さな政府」を目指すのかという理由には大きな違いがあると思います。また上の「保守主義」とは違う、むしろ「大きな政府」を志向しているのではないかと思われる「保守主義」もあります。これらの違いは段々鮮明になりつつありますが、今までの対立構図が「保守対革新」というあまりにも正反対な二つの勢力の間の対立であったため、自分と異なる意見があると即「左翼」のレッテルを貼ったりして、まともな議論が成立していないように見受けられます。

 そろそろ影響力の薄れた古い「左翼」を攻撃することにエネルギーを注ぐ時代は終わり、新しい「対立」の時代がきているのではなかろうかと思います。「対立」というとマイナスのイメージがありますけど、もちろん協力できるところは協力しあって、そうでないところでは対立するのが、成熟した社会であろうと思います。対立を避けるために馴れ合ったり、逆に今までの民主党にありがちでしたけど、独自性を出そうとして、たとえば郵政民営化に賛成のくせに反対するなどという馬鹿げた真似は止めるべきであり、本当に対立すべきところで対立すべきであると思います。


 とは言え、長い間「保守」とは「反左翼」のことであり、それで団結してきた以上、考え方に違いがあるといっても、はっきりとした違いがわかりません。「旧橋本派」は「抵抗勢力」なんて言われて、ある程度傾向というものがあるようではありますけど、実際はそうとも限りませんし混沌としています。他人から見てもわからないでしょうし、本人さえ自分の立ち位置がどこにあるのか良くわかっていない人も多いでしょう。俺も実のところ自分では「保守主義者」と思っていますけど本当は「何主義」なのかよくわかっていません。それなりに調べてはいるんですけどねえ…

 
最後にウィキペディアで参考になりそうなところをリンク

保守
新保守主義
自由主義
新自由主義
リバタリアニズム

うーん、無知だからよくわからん。良い解説本等があったら教えてください。

それにしても「新自由主義」の項、

新自由主義に現れる特徴は、大企業の横暴への正当化と、労働者への抑圧(例:日本の産業再生法、韓国の整理解雇法)とも言われ、世相は僅な「勝ち組」と大多数の「敗け組」に象徴される。これは、新自由主義が「弱者・小さい者には死を、強者・大きい者には生を」との発想に基づいている為である。

って、なんかすごいこと書いてあるけど、これでいいのだろうか?

2006年は保守主義vs新自由主義

予想つうか、そうなってほしいと思っています。
 俺はもう左翼は必要ないと思います。この場合の左翼というのは、社会主義共産主義のことを指しますが、これらは日本では泡沫的存在として定着しつつあり、復活することはないでしょう。これは今に始まったことではなく、時勢の流れというものであり、とっくにこうなっているべきであったものが、いよいよ訪れたという感じです。滅亡することはないでしょうけど、現実との乖離は著しく、これらを支持する人達が声を大にすればするほど、一般大衆の支持は離れていくでしょう。
 一方、彼らの一部は「社会民主主義」路線ということを唱えますが、「社民」「共産」両党は、最終的な目標としては社会主義共産主義を目指しているのでしょうが、それは夢のまた夢であり、現実的には今までも「社会民主主義」的な主張をしていたのであり、要するに現実的には何ら変化はないわけで、これもまた国民の支持を得られていないのは明らかです。もちろんこれからもメディアでは左翼的主張が大きな顔をして登場するかもしれませんけどね。
 今の日本は「小さな政府」を目指す「自公連立」と「民主党」の二大勢力が国民の支持の大部分を占めています。それはなぜかというと、最大の理由は巨額の財政赤字で、もはや「バラマキ政策」ではやっていけないことが誰の目にも明らかだからでしょう。これもまた今に始まったことではなく、少なくとも1980年代には始まっていたことであり、やっとそれが軌道に乗ってきたという感じです。
 
 しかし今までの対立の構図が「保守与党」対「革新野党」であり、それが長い間続いてきたために、「革新」が泡沫勢力になったにもかかわらず、「対立」といえば「革新勢力」が実際よりも遥かに巨大な存在として立ちはだかり、それに対して「保守勢力」は大同団結して立ち向かうという図式がいまだに続いています。実際には「保守」と「革新」の境界は、大きく左にズレています。左翼は現状を「大政翼賛的」などとよく批判しますけど、それはある意味当たっていて、本来対立すべきは、巨大な「保守」と、ちっぽけな「革新」ではなく「保守」内部で考え方の違いから対立すべきだと思います。これはもちろん「革新」の側に立って言っているのではなく、様々な考え方の人が存在する「保守」が、「革新」という「仮想敵」によって一致団結する必要は薄れてきたと考えるから、そう思うのです。

 というか「保守」内部の分裂はすでに始まっています(ちなみにここで俺が「保守」と言っているのは上に書いたような意味の「保守」であり要するに「反左翼」と同義)。一概に「保守」といっても、内部には様々の人がいます。様々すぎてここで書くと長くなるので省きますけど、大きい区分としては「保守主義」と「自由主義」の違いが、これから大きくクローズアップされてくるでしょう。どちらも「小さな政府」を目指しますが、なぜ「小さな政府」を目指すのかという理由には大きな違いがあると思います。また上の「保守主義」とは違う、むしろ「大きな政府」を志向しているのではないかと思われる「保守主義」もあります。これらの違いは段々鮮明になりつつありますが、今までの対立構図が「保守対革新」というあまりにも正反対な二つの勢力の間の対立であったため、自分と異なる意見があると即「左翼」のレッテルを貼ったりして、まともな議論が成立していないように見受けられます。

 そろそろ影響力の薄れた古い「左翼」を攻撃することにエネルギーを注ぐ時代は終わり、新しい「対立」の時代がきているのではなかろうかと思います。「対立」というとマイナスのイメージがありますけど、もちろん協力できるところは協力しあって、そうでないところでは対立するのが、成熟した社会であろうと思います。対立を避けるために馴れ合ったり、逆に今までの民主党にありがちでしたけど、独自性を出そうとして、たとえば郵政民営化に賛成のくせに反対するなどという馬鹿げた真似は止めるべきであり、本当に対立すべきところで対立すべきであると思います。


 とは言え、長い間「保守」とは「反左翼」のことであり、それで団結してきた以上、考え方に違いがあるといっても、はっきりとした違いがわかりません。「旧橋本派」は「抵抗勢力」なんて言われて、ある程度傾向というものがあるようではありますけど、実際はそうとも限りませんし混沌としています。他人から見てもわからないでしょうし、本人さえ自分の立ち位置がどこにあるのか良くわかっていない人も多いでしょう。俺も実のところ自分では「保守主義者」と思っていますけど本当は「何主義」なのかよくわかっていません。それなりに調べてはいるんですけどねえ…

 
最後にウィキペディアで参考になりそうなところをリンク

保守
新保守主義
自由主義
新自由主義
リバタリアニズム

うーん、無知だからよくわからん。良い解説本等があったら教えてください。

それにしても「新自由主義」の項、

新自由主義に現れる特徴は、大企業の横暴への正当化と、労働者への抑圧(例:日本の産業再生法、韓国の整理解雇法)とも言われ、世相は僅な「勝ち組」と大多数の「敗け組」に象徴される。これは、新自由主義が「弱者・小さい者には死を、強者・大きい者には生を」との発想に基づいている為である。

って、なんかすごいこと書いてあるけど、これでいいのだろうか?

当日の板情報

 もう寝ようと思ってたら、当日の板情報を載せているブログ発見。


ジェイコム株(2462)誤発注問題を徹底追及!!!
http://blog.livedoor.jp/kabujiken/


 これは貴重な情報だ。報道を見ているだけではわからない、とてつもなく貴重な情報。だが眠いので分析しないで寝ます。

モルガン・スタンレーがジェイコムの「大株主」に

みずほ証券誤発注 現金決済も(産経新聞)

 一方、米投資銀行モルガン・スタンレージェイコム株四千五百二十二株(発行済み株式の31・19%)を八日に取得したとする大量保有報告書を関東財務局に提出した。野村証券も八日に千株(同6・9%)の取得を発表。いずれも通常の自己売買としている。

 これについては「ハイエナ」だとか何だとか、いろいろ言われているけど、情報不足で何ともいえない。何がわからないのかというと、これだけでは、みずほ証券の誤発注を見て買ったのか、元々指値で買い注文を入れていたのが、大量の売り注文で買えてしまったのかが不明だから。板情報を見ていたデイトレーダーならわかるかもしれないけど、俺は知らない。
 ただ、おそらくそういうことだったのだろうとは思う。ここで産経の記事を引用したのは、「通常の自己売買」と書いているのが、俺の調べた限りここだけだったから。
 「大量保有報告書」とは何かというと、「発行済株式総数に占める保有株式数の割合が5%を超えている者」に提出が義務付けられているものです。
 モルガン・スタンレーと野村は5%を超えたので報告したわけですが、それ以下には報告の義務がないので、2社だけが、「ハイエナ」だったわけではなかろうと思われます。(ちなみにジェイコムの発行済み株式数は1万4500株。みずほがその42倍の61万株のカラ売りを出したので、「株主」の持ち株を合計すると「100%」ではなく、大きくそれを上回ります。念のため。)
(12/11追記:板情報を見ると、誤注文前の買注文は少数しかなく、ほぼ全てが売り注文を見ての買いであったようです。)

わからないことが多すぎる。

 わからないことといっても、秘密にされていること、例えば「みずほ証券はあと何株買い戻す必要があるのか?」なんてことは、みずほ証券は公表しないっていってるんだから、わからないのも当然なんだけど、そういう内部者だけが知りうる情報のことではなくて、公になっているはずのこと、あるいは聞くことのできる立場の人(要するにマスコミ)が取材すれば教えてくれそうなことが、一向にわからない。というか記事に一応書いてはあるのだけど、肝心の部分が曖昧で読者にとってはわからないことが多すぎる。なぜそんなことになっているかというと、おそらく記者が、そこを適当にごまかしているとか、疑問すら感じていないとか、そういうことではなかろうか。すごくイライラする。

初値の謎

 昨日も書いたのだけど、ジェイコムの初値は、みずほ証券の売りによって、値段が付いたのか、それとも、それ以前のことだったのか?それがわからない。もちろんこんなことは秘密でもなんでもないはずです。デイトレーダーで現場を見ていた人ならわかっているでしょう。しかし俺にはわからない。なぜなら報道がどっちとも受け取れるような書き方しかしていないからです。


1円で誤発注か? ジェイコム株が乱高下(共同通信)

 同社の売り出し価格は61万円で、初値は67万2000円。関係者によると、ある証券会社が1円で約60万株を売り出したところ、大半の売買が成立した。

 これで、どっちだかわかりますか?


注文出した証券会社など詳細は聞いていない=誤発注問題でジェイコム社長(ロイター)

ジェイコムは、公開価格61万円を6万2000円上回る67万2000円で初値を付けたが、この際「60万円で1株売りのところを1円で60万株売りとする発注ミスがあった」(準大手証券エクイティ部)と観測されていた。

 やっぱりわかりません。「この際」が「初値を付けた」にまでかかっているようにも見えますが、はっきりとしません。しかし、これらは当日の早い段階の報道なので仕方ないのかもしれません。

 しかし日付が変わっても、
みずほ証が60万株誤発注=損失300億円にも−新規上場のジェイコム株売買(時事通信)

同社長によると、初めて売買が成立した午前9時27分ごろ、61万円で1株を売るところを1円で61万株売ると誤って入力。

みずほ証券、大量の誤発注 「1株61万円」→「61万株1円」(産経新聞)

このため、ジェイコム株は、初めて売買が成立した午前九時二十七分前後に大量の売り注文が確認され、

<ジェイコム株>単純ミスで大損失 東証「安全装置」なく(毎日新聞)

今回、8日午前9時に新規上場したジェイコム株は、同27分に初値67万2000円をつけた。同じころ、みずほ証券は顧客から「ジェイコム株を61万円で1株売り」の注文を受けたが、

 これでわかりますか?産経新聞は「前後」と書いてます。「前」か「後」か?それが肝心なのに。しかしこの3つの記事はそっくりですね。おそらく「時事通信」の記事をベースにして書いたのでしょう。産経はそこに疑問を持ったので「前後」と書いたのかもしれません。毎日は「同じころ」と適当にごまかしています。どちらにしろ、なぜ調べないのでしょう?関係者じゃないから断定はできないけど、このくらいは調べればわかることなんじゃないかと思うのですけどね。

 ところで「ラジオNIKKEI」の記事は、これを考えるヒントになりそうなことが書いてあります。
ジェイコム岡本社長「誤発注は大変遺憾」

岡本 朝方から買い気配が切り上がっていく中で、突然値段が付いた。主幹事証券や東証からは「一部の証券会社から入力間違いによって大量の売り物が出た」との話を聞いている。

 これを読めば「大量の売り物が出た」ので「突然値段が付いた」と受け取れます。昨日も書きましたが、9時27分という段階で新規上場株の初値が付くというのは、早いような気がします。しかしそういうことも珍しいというわけでもないので、はっきりとしません。


 この件に関してブログ界では、「にっけいしんぶん新聞」の記事が、
みずほ証券、大量発注ミス −その1(なんだったのか)−

公募価格61万円からスタートしたジェイコム株は順調に買い気配を上げ、寄り付かないまま672000円まで買い気配を上げていましたが、ここでみずほ証券が1円で61万株の売りの誤発注があり、このため672000円で寄り付きました。
そして残りの約60万株の1円売り注文のためにあっというまに株価は下がり、672000円からの制限値幅10万円が適用された572000円のストップ安売り気配(売り注文が多くて取引が成立しない状態)になってしまいまいた。

 と、みずほ証券の売りで寄り付いたと書いています。

 一方、「木走日記」は、
毎分30億円というとんでもない損失をくらったみずほ証券

8日午前9時に新規上場したジェイコム株は、同27分に初値67万2000円をつけます。

 同じころ、みずほ証券は顧客から「ジェイコム株を61万円で1株売り」の注文を受けます。

 と書きます。ちょっと微妙ですけど、寄り付き後の注文であるかのように見えます。

 真相はどっちなんでしょう?一応今まで見た感じでは、みずほ証券の売りで寄り付いたというほうが、分があるように思います。
(12/11追記:板情報を見ると、みずほ証券の売りで寄り付いたとみてよさそうです。)

「警告」の謎

 これも昨日書きましたが、みずほ証券の担当者が「警告メッセージを見落とした」というのが各社共通に書かれています。ところが、どういう「警告」だったのかがわかりません。俺の知る限りでは唯一「朝日新聞の記事」が、「市場価格との隔たりを示す警告」と書くのみです。しかし本当でしょうか?ジェイコムはこの日が上場日です。前日まで「市場価格」はありません。「67万2000円」で寄り付いたので、それが基準価格となり、上下10万円の制限値幅が設定されたのです。これは上の話と連動しますが、もし寄り付き前に注文を入力したのなら「市場価格」は存在しません。たとえ寄り付き後の注文だとしても「市場価格」は設定されていたのかなあというのが素朴な疑問です。
 しかし朝日以外は俺の知る限り何も書いていません。何で調べないのでしょう?こんなこと社員に聞けばすぐにわかるのではないでしょうか?