『付喪神記』と『百鬼夜行絵巻』(その7)

付喪神記』の「悪鬼」は「鬼」とはいっても「鬼神」ではなく、あくまで付喪神の一種であろうということは既に書いた。


では百鬼夜行絵巻』(真珠庵本)の「鬼」は何者か?


そもそもどれが「鬼」なのか判断が難しいが、明らかに鬼だと考えられるのは赤鬼。


次にこの小槌を持ってるのと、それを担いでるのも「鬼」ではないかと思うのだが『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』では「蟻の妖怪」と「麒麟の妖怪」となっている。その左にいるのも微妙だが同署では「三ツ目小僧」となっている。



あと『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』では絵巻の最初に登場する2体を「矛をかついで走り出す青鬼」「大幣で白布をかぶった獣をたたきのめそうとする赤鬼」とする。




あとここは「逃げまどう瓢の妖怪、うさぎ妖怪、白鷺妖怪、赤鬼、白龍の妖怪」とある。左にいるのが「白龍の妖怪」だと思われるが「鬼」のようにも見える。逆に「赤鬼」と呼ばれてる妖怪が「鬼」なのかは微妙に思う。


これも「青鬼」だというけれど、ちょっと微妙かも。



で、問題は「鬼」は何者か?ということ。「鬼神」なのか「付喪神」なのか?あるいはそれ以外なのか?ここが非常に重要なところ。


百鬼夜行」といっても、「鬼神」の行列の場合もあれば、それ以外の行列もあること、さらに行列以外の場合もあることは既に書いた。『百鬼夜行絵巻』には器物の形態を有する妖怪や獣の姿の妖怪が登場するから「それ以外の行列」と見ることが一応できる。しかしそこに鬼の姿がある。『付喪神記』の「悪鬼」は付喪神の一種だと考えられるので、ここに見える鬼もそれと同じだろうか?


ただ、とても気になることがある。それは上の二枚の画像を見れば、鬼が妖怪を攻撃していること。その次の二枚の「青鬼」「赤鬼」の画像も見ようによっては妖怪を追いかけてる画像に見えるし、「白龍の妖怪」もまた妖怪を追いかけてるように見える。


そう考えたとき、彼らは本当に妖怪の仲間なのだろうか?という疑問が湧くのである。「百鬼夜行」というからには「鬼」が登場するのは当然で、彼らは「百鬼」なのだと見做せそうだけれども、妖怪の行列としての「百鬼夜行」の場合「鬼」はむしろ異色の存在になるのではないか?


これはとても重要な問題だと俺は思うのだが、これについて何か言及が無いかと探したけれど、やはりこれも見つけることができなかった。しかし繰り返すがこれはとても重要な問題だ。百鬼夜行絵巻』とは何かという根本的なことに関わることであろう。


(つづく)

『付喪神記』と『百鬼夜行絵巻』(その8)

付喪神記』(国会図書館本)に赤鬼と青鬼の「悪鬼」が登場することは既に書いた。彼らは器物が妖変した付喪神。実はそれ以外にも「鬼」が登場する。それが「護法童子







然るに第六日の後夜の時に御聴聞の為に、主上出御なるとて、御殿の上を御覧ぜらるゝに、赫奕たる光明あり。その中に奇異なる天童七八人、或は劒を提げ、或は宝捧をかたげて立ちけろが、同時に北をさして飛び去りぬ。是れ則ち、二明王の眷族、悪魔降伏の為に現じたまふらむと、渇仰の御涙叡襟をぞ湿ほしける。

「二明王の眷族」の「奇異なる天童七八人」が「護法童子」。(「二明王」が何を指すのか無知なのでわからない)。(追記5/2)不動明王降三世明王だそうだ。『日本文学大系 : 校註. 第19巻』(国民図書)。

【護法】より

…広義では,仏法に帰依して三宝を守護する神霊・鬼神の類を意味するが,狭義では,密教の奥義をきわめた高僧や修験道の行者・山伏たちの使役する神霊・鬼神を意味する。童子形で語られることが多いため護法童子と呼ぶことが広く定着している。しかし,鬼や動物の姿で示されることもある。…
護法童子(ゴホウドウジ)とは - コトバンク(世界大百科事典内の護法童子の言及)


で、俺が何を言いたいのか、ここまで読めばわかると思うけれど、
百鬼夜行絵巻』(真珠庵本)の鬼は「護法童子」なのではないか?
ということ。



この鬼など、上の画像と似たポーズをしてるではないか。


この仮説を正しいとすれば『百鬼夜行絵巻』の解釈は大きく変わらざるをえない。


絵巻の最後に「赤くて丸い物体」が出現し、妖怪どもはそれを恐れ逃げているが、実はそれだけでなく妖怪どもは左右(前後)両サイドから攻撃されて追い詰められているということになるではないか。


(もちろんこう解釈した場合には不自然な点もある。両サイド以外にも「鬼」がいることだ。一応は空から降りてきたと解釈できないこともない。また真珠庵本が粗本ではないだろうということは既に研究者に指摘されているから、真珠庵本からさらに遡ったものでは鬼のいる場所が違っていたかもしれない。そのあたりはさらに考えてみる必要がある)


(つづく)