2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

妻木氏の謎(目次)

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妻木氏の謎(その5)

妻木氏の謎について気になる事を順次追記しようと思ってたがあまりにも多いので新たに「妻木氏の謎(その5)」として記事を立てることにした。 (追記1/14) 〇『徳川家康 (人物叢書) 』(藤井讓治 2020)に慶長5年8月27日のこととして さらに、東美濃の様子…

妻木氏の謎(その4)

妻木氏の「諱の謎」についてはほぼ解明できたのではないかと思う。『寛永譜』『寛政譜』の誤った情報は広く採用され、その誤まりを修正しようとする研究も今のところ無いように思われる。また「妻木玄蕃」について記された論文も複数あるようだが、彼が何者…

妻木氏の謎(その3)

この記事は2018年にツイッターで考察したことを思い出しながら書いている。妻木氏の諱の謎はほぼ解けたと思う。だが妻木氏の謎はまだあったことを思い出した。 諱を修正した上で『寛永譜』『寛政譜』を見れば (1)妻木藤右衛門廣忠は明智光秀の叔父で天正10…

妻木氏の謎(その2)

書き忘れてたことがあるので、まずそれを追加。 妻木の八幡神社の棟札に 大檀那 藤衛門尉源廣忠 花押 永祿二(己未)年五月二十八日 慶長十三年 大檀那傳入賴忠 花押 願主 妻木雅樂介源宗賴 とあり(『岐阜県土岐郡妻木村史 』)。これはかなり信用できる史…

妻木氏の謎(その1)

1 www.yamagata-u.ac.jp ニュースで妻木頼利の名前を見たので前々から気になってたことを書いてみる。 妻木頼利(1585~1653) 江戸時代前期の武士。天正13年生まれ。妻木頼忠の子 『寛永諸家系図伝』(以降『寛永譜』)は寛永18-20年(1641年-1643年)に編…

地震とナマズと豊臣秀吉

地震とナマズが結び付けられた最古の史料は豊臣秀吉文書だという。文禄元年12月(1593年1月)前田玄以に宛てた書状の中に ふしミのふしん、なまつ大事にて候まゝ とある。これは「伏見の普請、なまず(鯰)大事にて候まま」で「なまず大事」とは「地震対策が…

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (目次)

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『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その5)

徳川家康の「背信行為」を『三河物語』は記す。普通に考えればそれは家康にとって都合の悪い話であり「徳川中心史観」で書かれていると評されているにしては不自然なことである。さらに「背信行為」のアドバイスをしたのは著者大久保忠教の叔父大久保忠俊だ…

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その4)

家康は一揆勢との和議の条件「寺内を前々のごとく」を「前々は野原なれば、前々のごとく野原にせよ」という屁理屈によって反故にした。一般的にはこれは家康の「背信行為」であり、卑怯なことだと考えられている。よって家康にとって不都合な話であり、隠蔽…

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その3)

徳川家康は「前々のごとく」という起請文を交わしたにも関わらず、「前々は野原なれば、前々のごとく野原にせよ」という理屈で一向宗寺院を破却したと『三河物語』に書いてある。これは家康の「背信行為」だとされている。 この逸話がなぜ『三河物語』に書か…

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その2)

昨年の大河ドラマ「どうする家康」でもやってたが、三河一向一揆のときに家康が一揆側と「前々のごとく」という約束したにもかかわらず「前々」は野原だったのだからと、一向宗寺院を破却したという話が『三河物語』に書いてある。 其後土呂、春崎、佐崎、野…

『三河物語』は徳川中心史観ではなく大久保中心史観 (その1)

『三河物語』は『徳川中心史観(松平・徳川中心史観)」によって書かれているとし「徳川中心史観からの脱却」を主張する研究者は多い。だが本当に『三河物語』は徳川中心史観の書なのであろうか? 著者の大久保忠教(1560~1639)は江戸初期の旗本。徳川家臣…