2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

淀君は聖なる女性(その4)

淀君蔑称説を否定しているというので、『淀殿』(福田千鶴 ミネルヴァ書房)を図書館で借りて読んでいるのだが、その中に俺の目を釘付けにするものがあった。 茶々を秀吉の「側室」「妾」とみなす史料については、寛政三年(一七九一)に成立し、京都の文人…

淀君は聖なる女性(その3)

淀殿の父方の祖母は小野殿という。 小野殿(おのどの (大永7年(1527年)? − 天正元年(1573年))は、戦国時代の女性。近江国の戦国大名浅井久政の正室。浅井長政の母。また京極マリア(京極高吉室)も彼女の娘とされる。名は阿古と言い、「阿古御料」と…

淀君は聖なる女性(その2)

秀頼は豊臣秀吉の実子か?ということは、ネットの掲示板等でもよく取り上げられる話題。だが歴史学者はこれを否定する。しかし、俺には、その否定の言説が説得力のあるものだとは到底思えない。 「わからない」というのが妥当ではないのか?非実子説がそれほ…

淀君は聖なる女性(その1)

まだまだ書きたいことはいっぱいあるんだけれど、前に少し書いたように、近々ブログ休止する予定なんで、細かいことは省いて結論を書くと、俺が「淀君」の呼称に大きな関心を抱いている理由というのは、俺が、実のところ、 淀君は聖なる女性である 淀君には…

淀君は聖なる女性(おまけ)

淀殿の妹で、徳川秀忠の正室である於江与の方。 崇源院(すうげんいん、天正元年〔1573年〕- 寛永3年9月15日〔1626年11月3日〕)は、天正時代から江戸時代初期の女性。諱は江/小督(おごう)もしくは江与(えよ)とされるが、再婚時に改名した可能性もあり…

淀君は聖なる女性(その6)

小野小町が遊女であるという伝説がある。その小野小町の小野氏とは、 小野氏(おのうじ)は、7世紀前半から平安時代中期にかけて活躍した氏族。姓ははじめは臣であったが、八色の姓により朝臣に列せられた。孝昭天皇の皇子である天押帯日子命(あめのおした…

淀君は聖なる女性(その5)

小野於通という謎の女性がいる。 和歌・書画・糸竹(管弦)の技に秀で、淀君(ヨドギミ)や千姫に仕えた。 ⇒小野お通(全国名前辞典) 於通は『浄瑠璃十二段草子』を作ったと伝えられる女性(史実ではないというのが定説)で、これが浄瑠璃の名の元になったと言わ…

先行研究

俺は素人の歴史好きで、10年くらい前までは井沢元彦すげーみたいに思ってて、歴史学界けしからんなんて思ったりもした黒歴史があったりするんだけれど、もちろん今ではそうではない。で、その間、アマチュアとプロの違いは何だみたいなこともよく考えていた。…

正論原理主義についてもう一回考える

⇒では正論ではない論を吐くとは? - OAF 俺は結局『文藝春秋』本屋で立ち読みしただけなんだけれど、村上春樹氏の言う「正論原理主義」ってのは、イスラエルにはイスラエルの正論があり、パレスチナにはパレスチナの正論があり、その二つの正論の歩み寄り…

なぜ珍説がまかり通るのか

ここのところずっと淀殿のことばっかり書いている。おかげさまでアクセス数はどんどん減っている。つい最近、ホットエントリーする記事が続いたので(それほど多いというわけではないが)アクセス増えていたんだけれど、元に戻ってしまいました。 ま、それは…

ウィキペディアの「淀殿」

ここのところ毎日見ているのだけれど、また書き換えられていた。 ⇒淀殿 ところで、あらためて読んでみると 淀殿と大野治長とは乳兄妹であり、二人の密通が噂されていたという記録も残る。そのため、秀頼は秀吉の実子ではなく治長と淀殿の子であるとする説が…

血の継承

豊臣秀頼は秀吉の実子ではなく淀殿と他の男性との子であるという説がある。この説は淀殿が最初の子の鶴松に、既に「彼の子供ではない」という話があったことをフロイスが記しているくらいだから、同時代からあったものだ。それが江戸時代に話に尾ひれがつい…

受け継がれるもの

はてなブックマークの「最近の人気エントリー」で見つけた記事。 ⇒EmpireoftheSun太陽の帝国: 大和シロアリと天皇制の秘密 何で「人気」になっているのだろうか。賞賛されているというのでないのは明らか。その気持ちもわからないではない。で、気になるのは…

ネットのジャーナリズムに何を期待しているのか?

⇒書くことの難しさ ネットの言論はなぜ質が低いか インターネット-最新ニュース:IT-PLUS はてなブックマークでも評判悪いけれど、俺もなんじゃこりゃって思った。 で、話は随分さかのぼるんだけれど、俺がブログに興味を持ったのが2005年。その時に超有名だ…

熊猫か猫熊か

⇒熊猫の起源 - Living, Loving, Thinking パンダの呼称について、去年下の記事を見たとき調べてみたことがあります。 ⇒唐の時代に日本がパンダをもらった、という誤報・誤訳について - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記 そのとき見つけた興味深い論文。…

悪女萌え

俺は淀殿が悪女として書かれている「江戸時代の戯作や講談」を読んだことない。読みたいんだけれどタイトル知らないし、活字になってないと読めない。 だけど、その「戯作や講談」でいかに淀殿が淫乱でずる賢い女性になっていたとしても、それだけで、彼女が…

朝日姫と浅井姫

豊臣秀吉の妹の朝日姫は徳川家康の正室となった。 ⇒朝日姫(ウィキペディア) 豊臣秀吉の正室である北政所の母は尾張国朝日村の「朝日」。 ⇒高台院(ウィキペディア) 秀吉と朝日は縁がある。ということに俺は前々から興味を持っている。 ところで、信長の近…

黒百合伝説

『あやかし考』(田中貴子 平凡社)図書館で読んできた(4〜5年前にも図書館で読んだことあるんだけれど)。 まあ、これは論文じゃなくてエッセイですよね。「淀君」が蔑称だということについて触れているのは、わずか数行で、これだけじゃ賛成とも反対とも…

淀君は貶められたのか(その2)

さっきウィキペディアの「淀殿」の記事見たら加筆されていた。 ⇒淀殿(ウィキペディア) 昨日のつづき。 ちょっと説明が足りなかったと思うんだけれど、徳川にとって淀君は家康に逆らった「逆徒」なわけですね。だから淀君を批判するのは当然。もちろんこれ…

「淀殿」(福田千鶴 ミネルヴァ書房)

今読んでいるところ。面白い。でも、今俺が興味を持っている、歴史研究にはびこる陰謀論とういことでいうと、気にかかる部分があったので書いておく。 「大坂物語」は大坂の陣直後に徳川方の正当性を速報で喧伝するために作られたという政治的動機が指摘され…

豊臣秀吉6本指説

知っている人は知っている、というか秀吉に関心のある人ならもはや常識になっている秀吉六本指説。 秀吉は指が一本多い多指症だったとルイス・フロイスの記録や前田利家の 回想録「国祖遺言」に記されている。後者によれば右手の親指が一本多く、信長からは「…

淀君は貶められたのか

俺がネット始めて、歴史掲示板とかよく見ていた頃、今から6〜7年前。「淀君」というのは蔑称であり「淀殿」と呼ぶべき。江戸時代に淀殿は貶めるために遊女にたとえられたって趣旨のことが盛んに書かれていたんですね(まあ、今でも「淀君 遊女」「淀殿 遊女…

Battersea Power Station

アニマルズアーティスト: ピンク・フロイド出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン発売日: 2000/06/28メディア: CD クリック: 1回この商品を含むブログ (29件) を見る大きな地図で見る モーニング・グローリーアーティスト: オアシス出版社/メーカー: …

ウォーリーをさがせ!

⇒ついに本物か?「Google マップ ストリートビュー」でカメラ目線のウォーリーを発見 - GIGAZINE ストリートビューにイギリスが追加されたのが3月18日 ⇒Google ストリートビュー(ウィキペディア) ⇒Google Maps Mania: Street View Now in the UK and Nethe…

勝者の歴史

昨日のつづき よく「歴史は勝者によってつくられる」ってことが言われる。それはそうだとは思うんだけれど、一口にそう言っても、多種多様なものがあるわけでしょう。それをステレオタイプに、勝者を「正当化するため」とか「美化するため」とか、敗者を「貶…

陰謀論的史料批判

歴史の研究は史料に基づいて行うもの。しかし史料があるからといって、それを鵜呑みにしてはいけない。史料批判が欠かせない。というのは、特に歴史に興味がない人であっても常識だろう。 ⇒史料批判(ウィキペディア) 史料批判は一般に、史料そのものが後世…

我々は、本当に頭脳のわずか10パーセントしか使っていないのですか?

⇒人間は脳の○%しか使っていないので凄い潜在能力があるんだ信仰 | Kousyoublog正直俺は信じていたことがありました。 さて、これを言い出したのは誰か? ⇒Do we really use only 10 percent of our brains?: Scientific American よくわからないけれど、ア…

スカラー波

真夜中なのにブログ更新。これを書かなきゃ眠れない。 ⇒「Wikipedia」のウソに著名人からの声が続々、本当に信用できるのか。 | Narinari.com 早稲田大学名誉教授の大槻義彦氏は、3月17日付けの公式ブログのエントリー「ウィキペディアのでたらめ」で「Wikip…

武田信虎はなぜ追放されたのか?

信虎追放の原因には様々な説がある。 天文10年(1541年)6月14日、信虎は信濃から凱旋すると、娘婿の今川義元と会うために駿河に赴いた。しかし板垣信方、甘利虎泰ら譜代家臣の支持を受けた晴信一派によって河内路を遮られ、駿河に追放された。信虎を追放し…

国家安康

このブログのタイトルは「国家鮟鱇」で、これはもちろん「国家安康」をもじったもの。 豊臣氏当時ものとしては梵鐘が残っているが、この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主と…