豊臣秀吉6本指説

知っている人は知っている、というか秀吉に関心のある人ならもはや常識になっている秀吉六本指説。

秀吉は指が一本多い多指症だったとルイス・フロイスの記録や前田利家の 回想録「国祖遺言」に記されている。後者によれば右手の親指が一本多く、信長からは「六ツめ」と呼ばれていたという。当時は(現在もそうだが)、多くの場合、幼児期までに切除して五指とするが、秀吉は周囲から奇異な目で見られても六指で生涯を通し、天下人になるまでその事実を隠すことがなかったという。しかし、天下人となった後は、記録からこの事実を抹消し、肖像画も右手の親指を隠す姿で描かせたりした。そのため、「秀吉六指説」は長く邪説扱いされていた。現在では、前田利家の証言記録などから六指説を真説とする考えが有力であるものの、一次資料が存在しないこともあり、いまだにこのことに触れない秀吉の伝記は多い。近年発表された小説でさえこの説を奇説扱いするなど、まだ一般に認知されるには至っていない。なお。戦国時代を題材にした漫画では、センゴクシグルイがこの説を取り入れており、これらの作品に登場する秀吉は六指である。

豊臣秀吉(ウィキペディア)


真偽の程はわからない。しかし同時代の史料に書かれているというのは揺るがない事実。もしこれが事実でないとしたら、なぜこんな記述があるのか?すると、やはり秀吉を「貶めるため」云々という考えがでてくる。


しかし、秀吉の指が6本であるということが、秀吉を貶めることになるのかは、よくよく考えてみる必要がある。

重瞳(ちょうどう)とは、一つの眼玉に、瞳が二つある眼のこと。とくに、中国の貴人の身体的特徴として現れることが多い。 たとえば、伝説上の聖王である舜は重瞳だったという。また、資治通鑑などの史書によれば、項羽も重瞳だったという。
明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。たとえば、文王は四乳といって乳首が四つあったというし、禹は三漏といって耳の穴が三つあったという伝承が残っている。
日本においても重瞳は貴人の相と考えられ、豊臣秀吉平清盛などが重瞳だったという伝承がある。もっとも、これについての信憑性はきわめて薄く、まともに論じられることはめったにない。

重瞳(ウィキペディア)


秀吉には瞳が二つあるという伝承もあるんですよね。


「明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。」
これ重要。


フロイスの場合はそういうことを知らずに書いたのだろうけれど)


ちなみに、秀吉が6本指であるという記録を残した前田利家ですが、彼は彼で片目だったという説があります。