宇喜多直家の死因は尻はす」説への疑問

宇喜多直家の死因は「尻はす」だと言われている。出典は『備前軍記』

宇喜多直家卒去の事

宇喜多和泉守直家、近年腫物を煩ひ、出陣も叶ひ難く、浮田與太郞基家·浮田七郞兵衞忠家名代として、所々出陣ありしが、病氣重りて、天正九年二月十四日、行年五十三にて卒去なり。

 

一說に、直家の腫物は、尻はすといふものにて、膿血出づる事夥し。之をひたし取り、衣類を城下の川へ流し捨つるを、川下の額が瀨にて、乞食共度々拾ひけるに、二月中旬より、此穢れたる衣類流れざるより、直家早や死去ありしといふ事を、外にて推量して、皆之を沙汰しけるとぞ。

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「尻はす」とは「尻蓮」のこだと考えられる。

しり‐ばす【尻蓮】 〘名〙 尻にできるできものの一種。尻蓮根(しりばすね)。〔書言字考節用集(1717)〕

尻蓮(しりばす)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 

宇喜多直家「近年腫物(一説に「尻はす」)を煩ひ」「病氣重りて(重くなり)」卒去したと。つまり直家の死因は「尻はす」であると。確かにそう解釈できそうではあります。

 

ただし、その解釈は「病気=腫物(=尻はす)」とした上での解釈ということになるでしょう。

 

直家の死について書いてあるのだから、それのどこに問題があるのかと思うかもしれませんが、その解釈への疑問が俺にはあります。

 

それは「宇喜多和泉守直家、近年腫物を煩ひ、出陣も叶ひ難く」であります。直家は腫物が原因で出陣ができなかったと。

 

「尻はす」が死因だと解釈する場合は、おそらくこの時点で直家は「病気」であったと考えているのではないかと思います。「病気」だから出陣できないのだと。

 

けれども「尻はす」は腫物です。そして出陣するときには通常は馬に乗ると考えられます。尻に腫物があると乗馬が困難になるのではないでしょうか?

 

腫物も病気であり、悪性なら命にかかわるでしょうけれども、この場合、単に尻が痛くて馬に乗れないから出陣しなかったという意味でも十分解釈可能ではないかと思うのです。

 

そして次に「病氣重りて、天正九年二月十四日、行年五十三にて卒去なり」とあるのですが、「宇喜多和泉守直家、近年腫物を煩ひ、出陣も叶ひ難く」を、直家がこの時点で腫物による「病気」が原因で出陣できなかったと解釈するか、単に腫物があるから尻が痛くて乗馬できなかったからと解釈するか、どっちを採用するかによって「病気」が意味するものは大いに異なってくるのではないでしょうか?

 

すなわち前者ならば「病気=尻はす(腫物)」(またはそこから派生した感染症)が死因ということになるでしょうが、後者ならば「病気」は「尻はす」とは直接関係しない別の要因による可能性もあるということになるのではないでしょうか?

 

(ただし腫物の煩いによって体力が衰えていたから「病気」が重篤化したというようなことはあるかもしれないけれども)

 

もちろん、現在の解釈が間違っていると断言しているものではありません。違う解釈ができるのではないかという話であります。

 

 

(その他「尻はす」についてのポスト)

 

 

前に書いた記事。足利義持の「馬足形」関連

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(つづき)

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