2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

礫川全次先生への質問

いくつか質問させていただきます。 ⇒「ワイマール憲法」から「ナチス憲法」へ - 礫川全次のコラムと名言 礫川先生は麻生発言の 「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどう…

民主主義の条件

ドラッカーの『イノベーターの条件』に「なぜドイツとイタリアなのか」と題した文章がある。 一九世紀のドイツとイタリアにおいて、大衆の連帯をもたらしていたものは、ブルジョア秩序ではなく国家統一への熱気だった。 民主主義そのものが、大衆の心にいか…

麻生氏の「手口学んだらどうかね」発言再び

何を今更の麻生太郎氏の「あの手口学んだらどうかね」発言だが、とても重要なことなので、また書く。 ネットを巡回していると、世の中にはリテラシー能力の低い人がいっぱいいるということを実感させられる。しかしそういう人を俺は見下さない。そういう人だ…

伝えよう「傘おどり」

「江戸しぐさ」の「傘かしげ」とは 雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと。 ⇒江戸しぐさ - Wikipedia それに対して 和傘と洋傘の構造の違いを知っていれば、「傘かしげ」のおかしさにすぐ気づきます。 ⇒【著者インタビュー】虚偽で形づ…

洋傘かしげ

タイムマシンで江戸時代に行ったら、実際、「かさかしげ」(?)をやってる人はいるだろう。というか、江戸に限らず、それなりの知能があれば、雨の日には誰でもやること。【江戸しぐさ】文部科学省の道徳教科書が「トンデモ本大賞2015」を受賞 http://t.co/…

北条氏康書状について(その9)

仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、 について。村岡幹生教授は「無相談」が本当は「被相談」なのは明白だとし、織田信秀が今川義元と相談して安城の城を破ったと解釈している。なお「相談」とは…

たまには歌詞で聴くのもいいよね

⇒「音楽好きな人はほとんど歌詞なんか聞いてない一方、音楽たいして好きじゃない人はほとんど歌詞しか聞いてない」問題 - Togetterまとめ 俺もほとんど歌詞聞かないタイプ。というか聴くのほとんど洋楽だから歌詞わかんないし、ネット探せば日本語訳あるのも…

北条氏康書状について(その8)

次に 仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、 について。これが氏康文書でもっとも論議されている部分だ。 ここでは「駿州無相談」と書いたけれど、村岡幹生教授はこれを「駿州被相談」と読む。 相…

オキクルミとチンギス・ハーン

本田優子2003「アイヌの生活文化」『平成15年度普及啓発セミナー報告』(アイヌ文化振興・研究推進機構)には、太陽神がハルニレの女神が美しいのでちらっとみたら、それで女神が妊娠し、オキクルミを産んだ。そのためオキクルミの父親は太陽神ともいわれる…

北条氏康書状について(その7)

既に書いたように「彼国被相詰」の「相詰」が「侵攻する」という意味だと解釈されているけれど、俺は「相詰」を「侵攻する」という意味で使っている史料が他にあるのか知らないのである。そしてそれは俺が無知だから知らないのか、それとも学舎も知らないけ…

北条氏康書状について(番外) 古文書の解読について

学術論文というのは一般向けの書籍と違って読み手も専門的知識を有していることが前提になっている。したがって俺のような素人が読んでわからないところがあっても、それは俺が無知だからということになるかもしれない。 でも本当に俺が素人故の無知なだけな…

北条氏康書状について(その6)

次に「因茲、彼国被相詰之由承候、無余儀題目候、」について。 その前に 仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、殊岡崎之城自其国就相押候、駿州ニも今橋被致本意候、其以後、萬其国相違之刷候哉、…

北条氏康書状について(その5)

仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、殊岡崎之城自其国就相押候、駿州ニも今橋被致本意候、其以後、萬其国相違之刷候哉、因茲、彼国被相詰之由承候、無余儀題目候、就中、駿州此方間之儀、預御尋…

北条氏康書状について(その4)

以上の考察から織田信秀は尾張守護斯波氏(または守護代織田大和守家)の指示により、北条氏康に使者を派遣したのだと俺は思う。もちろんそれは形式的なことであって、実際は信秀自身の目的のために上司の命令という形にして使者を派遣した可能性はある(そ…

北条氏康書状について(その3)

氏康文書について徹底的に検証しようと思ったんだけれども、かなり初歩的なところで躓いてしまった。 北条氏康とは何者なのか? 織田信秀についてはまあわかる。尾張国の守護は斯波氏で、尾張の上四郡は岩倉織田氏(伊勢守家、下四郡は清洲織田氏(大和守家…

北条氏康書状について(その2)

天文17年3月日付の北条氏康の織田信秀宛文書は2種類ある。⇒北条氏康、織田弾正忠の軍功を確認し今川氏との関係を伝える(歴探) ⇒北条氏康、織田弾正忠の質問に答え今川氏との関係を伝える(歴探) 後者は北条と今川の関係についての部分だけを書いた簡潔な…

「誰が書いたかではなく何を書いたか」問題

⇒誰が書いたかではなく何を書いたかで考えたい - おうつしかえ ⇒はてなブックマーク - 誰が書いたかではなく何を書いたかで考えたい - おうつしかえ 「誰が書いたか」ってのはあんまりないかもしれないけれど「誰が言ったか」で検索すれば山ほど出てくる。特…

北条氏康書状について

村岡幹生教授の論文「織田信秀岡崎攻落考証」では「菩提心院日覚書状」だけではなくて「北条氏康書状」についてもかなりの文字数を費やして論じられている。 正直「日覚書状」から何が読み取れるかという問題だけでも相当な問題なのに「氏康書状」の考証まで…

菩提心院日覚書状について(目次)

菩提心院日覚書状について 菩提心院日覚書状について(その2) 菩提心院日覚書状について(その3) 洛中法華21ヶ寺の再建 菩提心院日覚書状について(その4) 菩提心院日覚書状について(その5) 菩提心院日覚書状について(その6) 菩提心院日覚書状につい…

菩提心院日覚書状について(その8)

次にこれは松平広忠が降参したのか否かという問題には直接関係しないけれど気になること。 覚悟外ニ東国はいくんニ成候間、弾正忠一段ノ曲なく被思たるよしに候、定而彼地をも只今の時分ハ攻いらんやと致物語候間、 この「弾正忠一段ノ曲なく被思たるよしに…

菩提心院日覚書状について(その7)

村岡幹生教授は「弾ハ三州平均、其翌日ニ京上候」を「信秀は三河を平らげ(平均にし)、その翌日に京に上った」と解釈している。 一方俺は「弾ハ三州平均」「其翌日ニ京上候」に分けて「信秀は三河を平らげた」「(楞厳坊は鵜殿の話を聞いた)翌日に京に上っ…

菩提心院日覚書状について(その6)

既に書いたように村岡幹生教授は楞厳坊は京都にいて、上京した織田信秀周辺から発せられた三河情勢を聞いたと考えている。これが意味するところは、く信秀は積極的に情報発信していたということだろう。だからこそ楞厳坊が知ることができたのだ。 当然のこと…

菩提心院日覚書状について(その5)

前回『村岡教授の考える「三州平均」は俺の考える「三州平均」とは異なる』と書いたけれど、良く読めばそうではない。村岡教授も「三州平均」とは三河全土の平定と考えているようだ。 しかし、書状が書かれた9月22日の10日ばかり前に来た楞厳坊が「只今の時…

菩提心院日覚書状について(その4)

一 三州ハ駿河衆敗軍の様ニ候て、弾正忠先以一国を管領候、威勢前代未聞之様ニ其沙汰共候、 この文書がもし天文16年のものだとしても、これは日覚が楞厳坊の情報を元に推測したものにすぎず、これをもっって信秀が三河一国を支配したとか、松平広忠が降参し…

洛中法華21ヶ寺の再建

ソースはウィキペディア 天文11年 本隆寺 寺は天文5年(1536年)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。その後、天文11年(1542年)後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、同年、本隆寺は杉若若狭守邸跡の現在地に再建された[2]。 頂妙寺 1536年(天文5年)の…

菩提心院日覚書状について(その3)

検索したところ村岡幹生教授の論文は『中京大学文学会論叢』(第1号 2015)に掲載されていたのであった。 ⇒中京大学文学会論叢1号〜 of 中京大学文学部 しかもネットで公開されている。 ⇒JAIRO | 織田信秀岡崎攻落考証 というわけで、論文を元にして考察して…

菩提心院日覚書状について(その2)

⇒日覚、越後本成寺に諸国の状況を伝える 今まで気付かなかったんだけれど、「歴探」さんが去年の8月に書いていた。 さて、今日いろいろ考えているうちに、この文書は1547年(天文十六年)の文書ではない可能性が非常に高いと思われる。 その理由は、文書の冒…

菩提心院日覚書状について

Papathana's ブログさんが去年話題になった「菩提心院日覚書状」について論じている。⇒川戦:安城合戦編⑯補遺Ⅰ 昨年発表された中京大教授の新説 ⇒川戦:安城合戦編⑰補遺Ⅱ 菩提心院日覚書状を読んでみる。 ⇒川戦:安城合戦編⑱補遺Ⅲ 記事の感想 俺もこの件には…

蛭ヶ小島の謎(その1)

蛭ヶ小島の謎はかなり複雑な模様。 ウィキペディアの記事を読んで俺が当初どう考えたのかを書いてみる。 蛭ヶ小島(ひるがこじま)は、静岡県伊豆の国市の地名。源頼朝の流刑地として知られる。しかし、歴史的には「伊豆国に配流」と記録されるのみで、「蛭…

一方ネイマールさんは

⇒痛いニュース(ノ∀`) : 【フジ】 ロナウドが水曜歌謡祭に出演 あまりにも歌が退屈すぎて苦痛な表情 - ライブドアブログ 一方ネイマールさんは Gusttavo Lima & Neymar - BALADA (TCHÊ TCHERERE TCHÊ TCHÊ) 最初このビデオ見たときネイマールだと気づかなくて…