既に書いたように「彼国被相詰」の「相詰」が「侵攻する」という意味だと解釈されているけれど、俺は「相詰」を「侵攻する」という意味で使っている史料が他にあるのか知らないのである。そしてそれは俺が無知だから知らないのか、それとも学舎も知らないけれど語感からそう考えているのかということも「知らない」のである。
そしてこれと同様のことは北条氏康文書の他の部分にも言えるのだ。
まず、
其以後、萬其国相違之刷候哉、因茲、彼国被相詰之由承候、
の「相違之刷」がわからない。
「相違之刷」で検索しても氏康文書しかヒットしない。「相違之刷」という言葉は他の史料にもあるのだろうか?
もちろん意味もわからない。
村岡幹生教授の論文には「相違の刷(あしらい)」と書いてある。「刷」を「あしらい」と読むのだろうか?検索しても1件もヒットしない。けれどもこれはさすがに用例が無いのに書くとは思えないので「刷」を「あしらい」と読む例があるのだろう。
だが「相違の刷(あしらい)」とはどういう意味なのか?
1 応対すること。あつかい。もてなし。
が相違するということだろうか?どうもピンとこない。
2 組み合わせて趣を添えること。また、そのもの。取り合わせ。
のことかもしれないが、結局どういう意味なのか俺には良くわからない。
しかし繰り返すが「相違之刷」で検索しても氏康文書しかヒットしないのが気になる。
誤字や写し間違いなどの可能性は無いのだろうか?あるいは「相違之筋」という言葉ならある。この手紙を書いたのが氏康本人か右筆なのかは不明だけれど、聞き言葉で「相違のスジ」を「相違のスリ」と間違って覚えてたなんて可能性はないのだろうか?
とにかく「相違之刷」を「相違のあしらい」と読めて、そこから何となく意味らしきものが見えたとしても、それで本当にいいのかはよくよく考えてみるべきだろう。
いや、そんなことでは全然なくて「相違之刷」という言葉は実際に他でも使われていて意味もはっきりしている。このド素人は無知なくせに何をバカなことを言っているんだ?ということなのかもしれないけれども、俺は実際にド素人なんでバカにされてもいいからそこんところをちゃんと知りたいのである。
で、「相違之刷」については正しい意味がわからなくても、文章の解釈はそれなりにできるようにも思われるけれども、氏康文書にはそれ以外にも意味不明かつ重要な問題が何個もあるのだ。