名字の無い侍について その5(黒人弥助についてのあれこれ)
名字の無い「小泉被官」は戦闘員の役割も持っていたが身分としては「侍」ではない。そういう階層の者で編成されたのが「小泉被官」。と考えるのが自然。
ただし、若干疑問が無いわけでもない。
名字の無い階層は「姓を有さぬ中・小名主層」(「甲斐における徳川氏の権力基盤--武田領国支配との関連において」村上直)と考えることがきる。
永禄10年に武田信玄がそういった階層にまで起請文提出を要求したのなら、「生島足島神社起請文」において、名字の無い者がもっとたくさんいるのが自然だと思われる。ところが「生島足島神社起請文」における名字の無い者は「小泉被官」の8名のみである。ここは大いに不思議なところだが、探した限りではこの点について言及しているものが見当たらない。
その理由が全くわからないが、可能性としては(1)武田信玄はこの階層の者にまでは起請文提出を要求していなかったが「小泉被官」は自主的に提出した。(2)武田信玄は、この階層の者へは基本的に起請文提出を要求していなかったが、「小泉被官」に対しては何らかの特殊な事情で例外的に要求した。みたいな感じだろうか?他にも可能性あるかもしれないが。
それともうひとつ良くわからないのが、『甲陽軍鑑』の「武田法性院信玄御代惣人数之事」の「信州先方衆」(他国衆)によれば「小泉 廿騎」とあり「騎」だから、普通に考えれば「侍」のはず。しかしこの廿騎の起請文は「生島足島神社起請文」に無い。
もっとも「生島足島神社起請文」と『甲陽軍鑑』「信州先方衆」を比較すれば、全く数が合わないので、「生島足島神社起請文」に無い者は(考えにくいけど)起請文を最初から提出してないのか、それとも生島足島神社以外に奉納して現存しないのかとか、そういったことが全くわからない。
※あと、小泉氏はどうも宮大工と関係あるらしく、それがとても気になる。名字の無い「小泉被官」は大工の技術者集団という可能性もあるのではないだろうか。
(『佐久市志 美術・建築編』等)
(とりあえず終わり)
名字の無い侍について その4(黒人弥助についてのあれこれ)
「小泉被官」8名全員に名字が無いのは、小泉氏の被官がたまたま名字の無い者しかいなかったからではなく、名字の無い者が「小泉被官」として編成されたと考える方が自然。
そして、名字の無い彼ら「小泉被官」は身分としての「侍」ではないと考えるのが自然。
※ もちろん「侍」身分で無い者が出世して名字を許され「侍」になるということはありえる。しかしそれはその時点で「侍」になるのであって、それ以前は「侍」ではない。小学生の大半が余程の事情が無ければ中学生になるからといって、小学生は中学生ではない(あたりまえ)。
ただし「生島足島神社起請文」やその他を考えるに、彼らは戦闘員としての役割があったと考えられる。
(「生島足島神社起請文」に定型文ではあるが「可抽戦功之旨可存定事」とある。)
弥助騒動で取り上げられることの多い高木昭作氏の論文『所謂「身分法令」と「一季居」ー「侍」は「武士」ではない』(日本近世史論叢 上巻)に、
近世初頭の東国語の好資料として著名な『雑兵物語』は、道具を持ち運ぶことを任務とする他の従者に対して、若党をもっぱら戦闘員として描いている。例えば草履取は、戦闘に参加すること自体が「推参」と見做された
とある。「若党」(侍)は戦闘員だが、それ以外の武家奉公人が戦闘に参加することは、たとえ主人のための親切心であったとしても「推参」(差し出がましい)こととされていたと。一般の武家奉公人は戦闘員ではなく、主人の武器を持ち運ぶなどの戦闘の補助がその役割であると。
ところが武田氏の軍隊ではそうではなかったようだ。『甲陽軍鑑』に
大名・小名・足軽・歩若党(かちわかとう)・小人・中間衆迄武辺おぼえの者多く出る者也。
御目利をもつて廿人衆をめつけ(目付)、(小人中間衆を)よこめ(横目)と名付、先手へ指越、心繰をいたせば、褒美をあそばし候故、後には此者共場をひきたる武辺の手柄七八度宛いたす。
(『戦国史料叢書 第3』)※先手(先陣)、心繰(手柄)
と小人(小者)・中間衆は戦闘員でもあったと考えられる(「横目」の本来の任務は監視・観察だが)。
前掲、高木昭作氏論文に
本節では若党が「一季居」禁令中の「侍」は若党であること、若党は「武士の面々」の奉公人ではあるが、階層的には奉公人の最上位にあること、それは若党が戦闘員である点に由っているであろうことを述べた。
とある。「若党=侍」と他の奉公人の差が戦闘員かそうでないかにあるとするなら、中間・小人(小者)が戦闘員でもあるのなら彼らの身分はどうなるのかという問題はありそうではある。とはいえ、やはり名字の有無は「侍」とそうでない者の区分になるのではと思う。
というわけで、繰り返しになるが「小泉被官」は「侍」では無いと考えるのが妥当だろう。
ただし、若干疑問がないわけではない。
(つづく)