2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「正史」まとめ

正史の国語辞書的な意味は [1] 国家によって編纂(へんさん)された正式の歴史書。 ⇔外史 ⇔稗史(はいし) [2] 中国の紀伝体で書かれた歴史書。特に「史記」を初めとする歴史書二十四史をさす。これに「新元史」を加えたものを二十五史とよぶ。 ⇒「せいし【正…

NHK受信料問題は民主主義にとって非情に深刻な問題

放送法は受信設備を設置したものから一律に受信料を徴収することを認めている。 テレビを所有していればNHKを見ることが可能。NHKを見ているのかいないかということを確認する手段が無ければ「うちはNHKを見ていない」と言われればどうすることもで…

「日本外史」の「外史」とは

江戸後期の歴史書。22巻。頼山陽著。文政10年(1827)成立。天保7〜8年(1836〜37)ごろ刊。源平二氏以降徳川氏までの武家の興亡を、漢文体で記したもの。 ⇒「にほんがいし【日本外史】」 の意味とは - Yahoo!辞書 平安時代末期の源氏・平氏の争いから始まり、…

「正史」(その9)

近代デジタルライブラリーで調べた「正史」のつづき。 「支那仏教正史. 上巻」 是に於て、余は敢へて不肖を顧みず、自己の意に満足するまで、直接古典史料を探求し、以て自ら其正史を知るらんと欲したれども、 つまり「正史=正しい歴史」 「逍遥劇談」坪内…

「正史」(その8)

近代デジタルライブラリーで調べた「正史」 「会沢正志斎」確實な正史の知識 『古事記』『日本書紀』『出雲風土記』『祝詞』『古語拾遺』『神皇正統記』『延喜式』『書経洪範』が出てくる。これらが「正史」という意味なのか、「正しい歴史の知識」という意…

「正史」(その7)

ウィキペディアの「正史」の記事。最初読んだときには特に気にしてなかったんだけれど今読むと気になる。 ⇒正史 - Wikipedia 正史(せいし)とは、 1. 東アジア諸国において、主に国家によって公式に編纂された王朝の歴史書のことである。中国の二十四史が代…

自己責任論

また「自己責任論」が盛り上がっているようなので、俺の考える自己責任論を書いてみる。 たとえば俺が何かの用事で道路を渡ろうとして、信号機のある横断歩道を青信号であることを確認し、かつ車が止まったことを確認してから渡ったところ、突然止まっていた…

「正史」(その6)

たかが「正史」されど「正史」。まだまだ続く。 韓国東亜日報の今年1月26日付コラムが興味深い。 ⇒[オピニオン]大韓民国の正史だなんて ◆前代の歴史は、後代の全盛期に書くという盛世修史という言葉もある。誰もが認める清の歴史が無いというのは、清の滅…

「正史」(その5)

引き続き『六国史』(坂本太郎著作集第三巻 吉川弘文館)より、 室町時代に現れた六国史の名は、江戸時代では、広く行なわれ、普遍的なものとなる。 (中略) もっとも稀に、六国史のほかに「六正史」「六史」などという場合もある、谷秦山の秦山集には、そ…

解釈の難しさ

⇒013-06-24 - 猫を償うに猫をもってせよ ⇒はてなブックマーク - 【書評】歴史研究者に「ですます」調で激しくDISる本郷和人著『戦いの日本史』(角川選書) - 歴史ニュースウォーカー 結局のところ俺は恵美嘉樹氏が本郷和人氏に何を要求したのかさっぱりわか…

百姓読み

これまた何を言いたいのか解釈に悩む文章である。 ⇒祇園信仰、牛頭天王像と河音さんーーG大で授業: 保立道久の研究雑記 電車の中。今日はG大で授業の日。私は授業というものが駄目で、基本的に御断りしているのだが、急な依頼につい御引き受けしてしまって…

八百長選挙

きっこ ‏@kikko_no_blogすげえ!東京都議選の投票が締め切られた20時ジャストに「自民党の第1党が確定。公明と合わせて過半数確保」っていうニュース速報!なんだこれ?八百長選挙かよ? https://twitter.com/kikko_no_blog/status/348759673979158528 この…

「正史」(その4)

『日本書紀』などは本来の「正史」とは異なるものなのに、なぜ「正史」と呼ばれるのか? 『六国史』(坂本太郎著作集第三巻 吉川弘文館)より、 大宝・養老の令の国史は、職員令の中務卿の職掌に、「国史を監修す」とあり、図書頭の職掌に、「国史を修撰す」…

「正史」(その3)

Kan Kimura ‏@kankimura 6月15日註2:実録と正史の違いがわからない人が多いと思います。基本的に「実録」は国王の治世を編年体で記した公的記録。「正史」は王朝全体の公的な記録、です。例えば、明治以降の日本には「実録」はあっても、「正史」はありま…

イタリアのシンドラー

⇒「イタリアのシンドラー」、実はナチス協力者だった? 国際ニュース : AFPBB News この見出しを見て「イタリアのシンドラー」と呼ばれている人物はユダヤ人を救ったけれど、ナチスに協力したこともあったということが明らかになったという意味だと思った。…

「正史」(その2)

本郷氏と会話していた木村幹(神戸大学大学院国際協力研究科教授)のツイートより。 Kan Kimura ‏@kankimura 6月15日その3。変わって朝鮮史関係。かの高宗実録・純宗実録は日本統治期に編集されたこともあり、韓国内では「正式な実録」と看做されない事が多…

「正史」

ついでに本郷和人氏のツイッターの別のところを読んでたら「正史」についての議論があった。 Kan Kimura ‏@kankimura 6月15日註2:実録と正史の違いがわからない人が多いと思います。基本的に「実録」は国王の治世を編年体で記した公的記録。「正史」は王朝…

「資料」と「史料」

先日、本郷和人さんに、「東大史料編纂所の史料だけ使って日本史を書いてください」と言っていたのがいて、そんなことができるはずはなく本郷さんもそう答えていたが、私は、典型的な「歴史中二病」だなと思ったのである。 ⇒歴史中二病 - 猫を償うに猫をもっ…

スリランカとセイロン

セイロンの名称の由来は、紀元前5世紀に最初の王朝の初代の王になったとされるウィジャヤが、シンハ(サンスクリット語 simha 。パーリ語はシーハ siha)、つまりライオン(獅子)と人間との間に生まれた親の子供であったことから、子孫をシンハラ、ライオン…

ビルマとミャンマー

⇒ミャンマーについて - 猫を償うに猫をもってせよ国名表記の問題は前から知っているけれど詳しいことまでは知らなかった。知っているのは軍事政権がミャンマーに変更して、それに反対する人達がいるってことだけ。 というわけで調べてみた。 そもそも「ミャ…

西郷頼母

歴史秘話ヒストリア「妻たちの会津戦争〜反骨の家老 西郷頼母と家族の悲劇〜」 西郷頼母が抗戦を主張したのに受け入れられず城を去ったと言ってたけどウィキペディアだと そこで若松城に帰参した頼母は、再び恭順を勧めた。しかし会津藩士の多くは、なおも新…

日本史ブログ

俺の把握している日本史学者による日本史ブログ。近現代史は興味の範囲外なので除く。 ⇒聖徳太子研究の最前線 ⇒目からウロコの琉球・沖縄史 ⇒平安京閑話 ⇒北の考古学 ⇒来 る べ き 書 物 (良く読む)⇒私的な考古学 ⇒森田悌の徒然随想 ⇒仮定された有機交流電…

アマテラスとタカミムスヒ(14) ヤマトタケルの太陽神的性格(その1)

間が空いてしまったけれど再開。 前回はスサノオの太陽神的性格について書いた。スサノオは両親に追放された。これはアマテラス、ツクヨミ、ヒルコと共通しているが、アマテラス、ツクヨミが「優れているため」に地上に置いておくべきではないとされたのに対…

ウィリアム英王子に「インド人の遺伝子」

⇒ウィリアム英王子に「インド人の遺伝子」、唾液分析で判明 国際ニュース : AFPBB News ⇒英ウィリアム王子にインド人の祖先 DNA検査で発見と英紙 - MSN産経ニュース 系図にするとこうなると思われ。 Eliza Kewark-Theodore Forbes ↓ Kathleen Scott Forbe…

「東国紀行」における天文13年の三河

巴々さんのコメントより 天文十二年半ばの時点で、岡、上和田、三木が織田方の手に落ちていて、岡崎城が孤立していたとするなら、天文十三年に谷宗牧が勅使として大浜・鷲塚を北上して岡崎に入った時に、岡崎を囲む包囲網を突破して入ったということになりま…

内藤文書

⇒松平広忠、内藤甚三が三木から寝返ったことを賞す | 歴探 今度大蔵以弄、此方へ御同心祝着候、如約束為給知百貫之分進置候、然者鷹落名田・野羽之前々の給分、不入ニ進之候、此両所相改、其都合ハはすみ所々ニ而引替、百貫之首尾ニ可被執候、猶委細阿大可申…

サッカー代表戦の視聴率が低かった理由、わたし、気になります

⇒サッカー代表戦視聴率、圧倒的に低い市…理由は : ニュース : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 生中継したテレビ朝日系の福岡地区(福岡市から北九州市にかけての15市町)の視聴率は22・2%(ビデオリサーチ社調べ)と、全国的に見て圧倒的な低…

松平信孝の放逐天文12年節の根拠(その2)

巴々氏のコメントをここに引用 鮟鱇様 一連の興味深い考察、勉強になります。とりあえず、事実関係を問うている部分だけ調べてみました。 平野明夫著『三河松平一族』によると、新編岡崎市史の新行紀一氏の記事をひく形で天文十二年に岡崎の家臣団達が松平信…

松平信孝の放逐天文12年節の根拠

⇒松平信孝の放逐天文12年節の根拠は? - 国家鮟鱇 その根拠はどうも「大竹氏所蔵文書」というものらしい。岡崎市史によると天文12年6月14日付けの書状に 中根弥次郎殿ニ弐十貫文、大竹源六殿ニハ主の名田を城ヘ納候分進之候、相のこり七人ニ百貫文進之候、少…

シニスムを浸透させることに成功した内田樹先生

あとひとつだけ。 誰もが嘘をついている。私もついているが、お前たちもついている。だから、誰もその嘘を咎める権利はない。 このシニスムが深く浸透すれば、いずれあらゆる「国民の歴史」を、自国の歴史でさえ、誰も信じない日がやってくる。 彼らがめざし…