アマテラスとタカミムスヒ(14) ヤマトタケルの太陽神的性格(その1)

間が空いてしまったけれど再開。


前回はスサノオの太陽神的性格について書いた。スサノオは両親に追放された。これはアマテラス、ツクヨミヒルコと共通しているが、アマテラス、ツクヨミが「優れているため」に地上に置いておくべきではないとされたのに対し、ヒルコ、スサノオは「三歳になっても足が立たなかった」「泣いてばかりいた」として追放されたという点に違いがある。そしてスサノオが常に泣いていると「国内の人民が多く死に、また青山が枯れた」というが、これは「日照り」のことで太陽を表現したものである。スサノオは地上で生まれ、両親に追放された後、「姉」に挨拶するために天上界に登り、そこで暴れて追放されて出雲に天下り、さらに根の国に赴いた。これは太陽の軌道を表現したものだ。というのが前回のあらすじ。


今回はヤマトタケルの太陽神的性格について。


しかし、その前にヤマトタケルの兄」の太陽神的性格について。


ヤマトタケルの父は景行天皇。「景」には

日・月・星・灯火などの光。「月の―」「木陰にまたたく灯火(ともしび)の―」

かげ【影/景】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
という意味があり、景行天皇も太陽神的性格を持っていると思われるが略。


天皇とハリマノイナビノオオイラツメの間に出来たのが「大碓命(オオウスノミコト)」と「小碓命(オウスノミコト=ヤマトタケル)」で『書紀』では双子とされる(『古事記』では二人の前にクシツノワケノ王がいる)。


景行天皇の記事は『日本書紀』と『古事記』では大筋は似ているけれど細部はかなり異なる。ここでは『古事記』の記事に注目したい。

あるとき天皇がオウスノ命に仰せされるには、「どういうわけで、そなたの兄は朝夕の食膳に出て参らないのか。よくおまえからやさしく教えさとしなさい」と仰せられた。こう仰せられて後、五日たってもやはりオホウスノ命は、出て参らなかった。そこで天皇がオウスノ命にお尋ねになるには、「どうしてそなたの兄は久しい間出て参らないのか。もしやまだ教えていないのではないか」とお尋ねになると、オウスノ命は答えて、「とっくに教えさとしました」と申し上げた。また天皇が「どのように教えさとしたのか」と仰せになると、答えて申すには、「夜明けに兄が厠にはいった時、待ち受けて構え、つかみ打って、その手足をもぎ取り、薦に包んで投げ棄てました」と申し上げた。
(『古事記(中)全訳注 次田真幸 講談社

これを聞いて天皇ヤマトタケルを恐れ、遠ざけるためにクマソタケル退治を命じることになる。すなわちヤマトタケルもまた親に追放されるのだが、その前に重要なのがこの記事だ。これは(学者は気付いてないかもしれないが)単にヤマトタケルが乱暴者だということを記しただけではないと思われる。


記事の重要なポイントを取り出してみる。


ヤマトタケルの兄のオオウスは朝夕の食膳に出てこなかった。すなわち、オオウスは引き篭もっていたのだ。


ヤマトタケル(オウス)は兄を教えさとすように命じられた。すなわち、引き篭もっているオオウスを外に出そうとしたのだ。


オウスは「夜明け」にヤマトタケルによって手足をもがれ、薦に包んで投げ棄てられた。すなわち、オオウスは手足が無く、容器(薦)に入れられて追放されたということだ。


こうして見れば、前半部分は天岩戸神話(招日神話)と類似しており、後半はヒルコ神話と類似していることは明白だ。


すなわち、オオウスノミコは太陽神的性格を濃厚に有しているのである。


一方、オウスノミコ(ヤマトタケル)もまた太陽神的性格を有していると考えられる。


(つづく)