アマテラスとタカミムスヒ(17) ヤマトタケルの太陽神的性格(その4)

ヤマトタケルは元々は太陽だった。というのが俺の仮説。


その根拠は何かといえばヤマトタケル伝説には「太陽神神話のカケラ」が存在するから。だが、あくまで「カケラ」であって記紀神話におけるヤマトタケル伝説は原型を留めぬほどに様変わりしている。それは記紀が成立した時代もしくはその直近に改竄されたのではなく、ヤマトタケル伝説の原型が相当古い時代のものであり、長い年月を経て変化したことを示唆していると思われる(あくまでヤマトタケルが太陽だったとした場合の話だが)。


さて、それを説明するのに記紀神話から遡るのは非常に難しい。なぜならタケル伝説は何段階もの変化を経ていると考えられ、途中の段階ではツッコミどころが山ほど出てくるからだ。というわけでヤマトタケルは太陽だった」という仮説を「真」とみなして、そこからどのように記紀神話に変化していったのかという形で説明してみる。


で、まずは「ヤマトタケルの誕生」から。


ヤマトタケルは太陽(太陽神)である(と仮定する)。この場合の「太陽神」とは、『日本書紀』における「日神」とは別系統の太陽神ではない。元々は同じものだったであろう。


さて「日神」はどこで誕生したか。


古事記』では「筑紫の日向の小門(おと)の阿波岐原(あわきはら)」で黄泉の国から帰ったイザナキが禊をして左の目を洗った時に成り出でた神がアマテラス、右の目を洗ってツキヨミ、鼻を洗ってスサノオが成り出でたとある。ただし「日神」ではなく「アマテラス」であることに注意。


日本書紀』の本文ではイザナキ・イザナミが「オノゴロ島」に天降りして淡路州(あわじのしま)その他大八州国を生み、また山川草木を生み、次に天下の主者を生もうとして「日神」が生まれた。この神は非常に優れていたので天に上げた、次に「月神」を生んだ。この神も天に上げた。以下略。この「日神」「月神」などが実際は「天下の主者」としては不適格なので「追放」されたのだということは既に何回も書いた。


こちらの話の方が「記紀神話」の原型であって、「目から生まれた」という神話要素は後になって付け加えられたのだと思う。ただしどちらの神話が古いかということではない。見方によってはその逆ということだって可能かもしれない。しかし「記紀神話」の基盤となる神話ということになると書紀本文の話が何よりも重要であろうと俺は思うのである。


で、その時に書くべきだったが、書き忘れていたのは「オノゴロ島」がどこにあるのかということ。


「オノゴロ島」は架空の島だという考えが主流だが、実在すると考えた場合、その比定地はウィキペディアによれば色々あるけれど、現在の「日本」の中央付近のどこかと考える説が多い(そうでないものもある)。
オノゴロ島 - Wikipedia


書紀本文に「オノゴロ島」を「国中之柱」となすとあるのだから、そう考えるのが自然だろう。俺もおそらく本来はそうであり、「世界の中心」にあったのだろうと思う。


そもそも世界的に見れば洪水で生き残った男女(兄妹)二人が人類の祖だという神話の場合が多い。その時点では「世界の中心」が舞台だったのだろうと思う。


ところが日本神話において男女二神が産むのは人類ではなく「島」であり「神」である。これが日本列島において付加された要素なのか、日本列島に到達する前からあったのかはわからないが、これによって大きく事情が異なってくる。


「日神」「月神」はオノゴロ島で誕生し、天に昇ったのだ。これは類話にはない要素だ。


「日神」「月神」が生まれ、地上から天に昇る場所「オノゴロ島」。その場所として相応しいのはどこかと考えれば、「日出ずる処」、すなわち東方だと考えるのがもっとも自然であると俺は思う。



このことに注意を払っている歴史・神話学者はいるのだろうか?俺は知らない。


ただし、当然のことながら「東方」とはどこかということが問題になる。


(つづく)


(追記17:50)本来の神話では男女二神の子作りの舞台は「世界の中心」だったのだろうと書いたけれど、考えてみればエデンの園は東方にあるとされていた。これについてはもっとよく考えてみる必要があるだろう。