アマテラスとタカミムスヒ(18) ヤマトタケルの太陽神的性格(その5)

イザナキ・イザナミの神話の舞台「オノゴロ島」は東方にある。というのが前回の要約。「日神」「月神」、すなわち太陽と月が誕生し天に昇る場所として最も相応しい場所を考えれば、そう考えるのが当然すぎるほど当然なのだ(ところがざっと調べた限りでは学者がそんなことを考慮している形跡は見当たらないのである)。


では「オノゴロ島」は具体的にはどこにあったのかといえば、「オノゴロ島は神話上の存在であり実在しない」というのが究極の答えではある。しかしながら、これは高所から見たときの答えであって、それだけでは不十分だ。


先ほどウィキペディアの「エデンの園」の記事を見たら

エデンがどこであったのかについては、古来、様々な場所が主張され、議論されてきた。その中には、創世記に典拠がみとめられないものも少なからずある。

なお、多くの説では、エデンがアルメニアの近くにあったと主張している。 またユダヤ教の伝承によれば、エデンはアルメニアの現在の首都エレバンにあったという。エレバンの近くにはノアの箱舟が流れ着いた場所との説があるアララト山がある。

エデンの園 - Wikipedia
云々とある。非キリスト教信者の俺に言わせれば「エデンの園は架空の地であって実在しない」ということになるけえれど、エデンの園がどこにあったかという問題はキリスト教原理主義者でなくても、関心のあるところではあろう。


「オノゴロ島」(と呼ばれていたかはわからないが)についても、それがどこにあったかというのは記紀神話成立よりもさらに遙かな昔からの関心事だったであろう。


しかし「オノゴロ島」は当然のことながら実在しないのだから、その正しい場所など突き止めようがない。しかも「オノゴロ島」がどこにあるかを考える際の手がかりは「東方にある」ということだけだったであろう。だが、というか、だからこそ複数の場所が「オノゴロ島」ではないかと考えられたに違いない。


さて、ここで留意しなければならないのは、方角というのは相対的なものだということだ。


大阪は東京から見れば西にあるけれど福岡から見れば東にあるのだ。


したがって「どこから見て東方なのか」という問題が発生する。


さて、ここで想起すべきは「神武東征」だ。

神武東征(じんむとうせい)は、日本神話において、初代天皇カムヤマトイワレビコ神武天皇)が日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話。

神武東征 - Wikipedia


「大和」といえば古代日本(というかその後も含めて)の中央というイメージがあると思われるが、「神武東征」伝説における「大和」は東方にある「まつろわぬ民」が居住する地域である。


「大和」には「蝦夷」がいた

蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『日本書紀』神武東征記中に詠まれている来目歌の一つに愛濔詩として登場する。

えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず
(訳:えみしを、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった)

「愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒」[19]

蝦夷 - Wikipedia


これを「大和」に東日本の蝦夷が居住していたと解釈する向きもあるけれど、そうではないと俺は考える。「大和」に居住する人々が「蝦夷」なのであって、すなわち、ここでの「大和」とは東方にある「野蛮人が住む地域」なのである。つまり後の東北地方や北海道(エゾ)と同じ扱いをされていると考えるべきなのだ。


ただし「大和」という言葉に、そういう意味合いが含まれているとは考えられない。そもそも神武東征が史実だとも考えられない。


ではどういうことかといえば、「神武東征」伝説は、「日向」を出発点として大和とその周辺の地域が「東の果て」と設定された「神話」だということだ。


(ただし、それが史実を反映したものだと考えるのはよくある話だが間違いだろう。あくまで神話世界での話ということだ)


そして、おそらくこの「神話の設定」は神武東征だけではなく、他の神話においても使用されているのではないかと思われる。


すなわち「オノゴロ島」や、男女二神が最初に生んだ島が「淡路島」だということや、あるいはアマテラスが伊勢に祀られていることなどは、この設定によるものではないかと思うのである。つまり、これらの出来事が近畿地方周辺のことであるようにみえるのは、この地域が「葦原中津国の中心」だからなのではなくて「東の果て」だからなのではないかと思うのである。


(つづく)