2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

過激なリベラルが全体主義になるのは当然の帰結である

⇒2017-09-24 - 今日の雑談何と申しましょうか、このブログでは個人主義と全体主義は正反対のものでは決してなく、むしろ親和性の高いものだということを何度か書いているわけですが、そういう話はあまり一般には理解されてないのであります。 ⇒「左翼」の対…

ヤマトタケルとは何者か?(その2)

⇒「ヤマトタケル」(澤井 理乃)より 古事記中巻が持つテーマは、天皇の世界のもととなる神話的な部分の上巻をうけて、天皇が中心となる世界の成り立ちを語ることにあった。神武天皇から応神天皇までの間で、天皇の秩序の世界が確立されていき、下巻では完成…

ヤマトタケルとは何者か?

日本神話にも関心があって、そっちも書きたいんだけどなかなか書けないでいる。ちょっとストレスが溜まってきたので、久しぶりに書いてみる。俺は現在の日本神話の理解は根本的なところで間違っていると思う(なんてことを言うとトンデモになってしまうのか…

続・メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話について(推理篇)

ここまでにわかったこと・メッケルは参謀旅行で関ケ原に行ってない ・後任のビィルデンブルヒは参謀旅行で関ケ原に行った参謀旅行とは参謀が現地に行って東軍と西軍に分かれ、地形・兵站等を考慮しながら作戦を立てて争ういわば大規模なウォー・シミュレーシ…

猿帰候て

⇒豊臣秀吉と「猿」(その2) - 国家鮟鱇 猿帰候て、夜前之様子具言上候、先以可然候、又一若を差遣候、其面 無油断雖相聞候、猶以可入勢(精)候、各辛労令察候、今日之趣徳若ニ可申 越候也、 (『織田信長文書の研究〈下巻〉』奥野高広 昭和45) 猿帰候て、…

続・メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話について(追記)

『児玉源太郎』(宿利重一)によれば、参謀旅行の始めは明治18(1885)だということで、「官報. 1885年11月13日」に 〇陸軍大学校学生参謀旅行ノタメ歩兵大佐岡本兵四郎及同校御雇教師独逸国人メツケル等ハ去ル六日茨城県下総国北相馬郡取手駅ニ著セリ とあ…

続・メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話について

アクセス解析の機能が無いので正確なところはわからないけれども、このブログの中で一番読まれていると思われる記事。 ⇒メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話についてネット検索して簡単に見つかった情報をまとめて、ちょこっと感想…