ヤマトタケルとは何者か?

日本神話にも関心があって、そっちも書きたいんだけどなかなか書けないでいる。ちょっとストレスが溜まってきたので、久しぶりに書いてみる。俺は現在の日本神話の理解は根本的なところで間違っていると思う(なんてことを言うとトンデモになってしまうのかもしれないけど)。細かいことに関する研究には立派なものは数多くある。けれども根本的なところが間違ってるので歪んでしまう、そう思ってる。その中でも最も間違っているのはアマテラスとヤマトタケルに対する理解であり、しかも両者は密接につながっていると思う。そこを誤解したままだと日本神話の理解は大いに歪んでしまうと思ってる。


ヤマトタケルとは何者か?一般にヤマトタケルと言えば「悲劇の英雄」とされている。そこから「敗者」とされ、あるいは天皇権力から排除された者の象徴とされている。しかしながら、ヤマトタケルを論じる言説において、ほとんど言及されることのない素朴にして単純明快な事実がある。


それは、ヤマトタケルの子は仲哀天皇で、以降、今上に至るまでの全ての天皇ヤマトタケルの子孫であるということ(もちろん神話的にという意味だが)。
(CiNiiで「ヤマトタケル」で検索し、ネットで読むことの可能な論文をざっと見てみたが、この事実を重視している論文は一つも無い模様)


系図で示せばこの重要性がもっと良くわかる。

神武-綏靖-安寧-懿徳-孝昭-孝安-孝霊-孝元-開化-崇神-垂仁-景行-成務

初代神武から13代成務天皇まで全て親から子への継承である。ところが14代仲哀天皇は12代景行天皇の皇子ヤマトタケルの子であり、親子継承はここで途切れるのである。そして「仲哀-応神-仁徳-履中」と再び親子継承が始まるが、反正・允恭は履中の兄弟で、以降兄弟継承が増えていく。


応神王朝(河内王朝)説というものがあり、そういう文脈で多少は注目されているのかもしれないけれども、それにしたってヤマトタケルを重視したものではない。それに、そもそも応神天皇の実在は疑わしい。これはあくまで神話的に考えるべきものだろう。


応神王朝説は支持しないけれども、王朝というものを「親から子へ継承されるべきもの」と考えれば、ある意味「王朝交代」的ではある。ただし史実として王朝交代があって、それが神話化されたという考えは取らない。これはあくまで神話であって史実ではないだろう。そう考えたときに、では「なぜ親子継承が途切れる神話があるのか?」ということを考えることの方が重要だと思われる。


その答えはわからないけれども、一応推理すれば、「神話の原理」としては親子継承だけれども、現実の王朝がそれを維持するのはおよそ不可能(王に子が出来なかったら王朝が終わってしまう)だから、「神話の原理」と現実との折り合いをつけるために兄弟継承を正当化する必要があって「新しい神話」が作られたのではないかと思う。しかしながら、「神話の原理」と現実との折り合いをつけるといっても、やはり「神話の原理」に対する根強い信仰があったのだろう。そのために「兄弟継承の神話」には王朝交代的な要素が入り込み、「王朝交代であって王朝交代でない」という感じの話になったのではないかと思う。


さて、上で「王朝交代的な要素」と書いたが、それが何のことかわからない人が多いだろう。なぜならそれを指摘している人を俺は見たことがなく、もしかしたら誰も気づいてないのではないかと思うからだ。ボンヤリと気付いている人はいるかもしれないけれど。


俺がここで言う「王朝交代的な要素」とは、アマテラスを皇祖とする天孫降臨神話と、ヤマトタケルを始祖とする王朝神話との類似性である。


天孫降臨神話といっても記紀によって複数の話が伝えられるが、基本は「最初にアマテラスの子のアメノオシホミミを地上に降そうとするが実行されず、孫のニニギノミコトが地上に降るという話である。一方、ヤマトタケルを始祖とする王朝神話においては、タケルの子の仲哀天皇は「西海の宝の国(新羅)を授ける」という神懸かりした神功皇后の託宣を信じず急死して、タケルの孫にあたる応神天皇新羅を征服したという話である。この二つの話は明らかに類似している。それぞれ史実を反映したものという考えもあろうけれども受け入れがたいし、実際学術的には受け入れられていないだろう。また一方の話が一方の話に反映しているという考えもあるだろうけれども、俺は始祖伝説の原型があって、それが両方に反映しているのだと思う。


それともう一つ、こっちは誰も指摘してないことだろうと思ってるけれど、前にも書いたが、俺はアマテラスは親に捨てられたと考えている。それは神話を素直に読めばそうとしか読めないものであり、イザナキ・イザナミは地上(葦原中国)の王を産もうとしたのだから、たとえ天上界(高天原)の王にされようとも、本来の目的から言えばアマテラスは「失敗作」なのであり、地上に置いておくと災厄をもたらすからアマテラスは追放されたと考えるべきなのだ。

※ 正確にはアマテラスではなく「日神」だけど、ここ説明すると長くなるので略。

この単純な事実がわかってないから、俺は現在の日本神話研究は根本的なところで間違っていると思うのだ。


そして、ヤマトタケルが父の景行天皇から恐れられ、賊征伐を名目に西へ東へと遠征を命じられヤマトから遠ざけられたのは、よく知られているところ。すなわちアマテラスもヤマトタケルも親によって追放されたのだ。これは偶然の一致ではなく、どちらも「皇祖」だからだと考えるべきである。


「皇祖」として崇敬されるべき存在が、そんな惨めな境遇だったと、そんな話を反体制側ならともかく体制側がするはずがないではないか。というのは大いなる誤解であろう。むしろ、そういう悲惨な境遇にあった者こそが偉大な存在になるという話は世界に数多くあるのではないか?そこのところを研究者が全然わかってないように思うのである。