ついでに本郷和人氏のツイッターの別のところを読んでたら「正史」についての議論があった。
Kan Kimura @kankimura 6月15日
註2:実録と正史の違いがわからない人が多いと思います。基本的に「実録」は国王の治世を編年体で記した公的記録。「正史」は王朝全体の公的な記録、です。例えば、明治以降の日本には「実録」はあっても、「正史」はありません。何故なら「王朝交代」がないからです。
kazuto hongo @diamondfloor41 6月15日
これは誤りだと思いますが。明治時代、六国史以降の正史の編纂をしようとはしたのです。ですが、もろもろの事情があって中止になり、史料の編纂を始めました。@kankimura 例えば、明治以降の日本には「実録」はあっても、「正史」はありません。何故なら「王朝交代」がないからです。
https://twitter.com/diamondfloor41/status/345910811220398080
日本の歴史において、こうしたことが意識されていたとは、とても思えません。少なくとも、江戸時代にはないでしょう。@kankimura 実録と正史の違いがわからない人が多いと思います。基本的に「実録」は国王の治世を編年体で記した公的記録。「正史」は王朝全体の公的な記録、
https://twitter.com/diamondfloor41/status/345914854042894336
@kankimura @kous37 正史・実録という言葉は、少なくとも江戸時代までは、あなたの仰るような意味では用いられていなかったのではないか、と言いたかったのです。正史の編纂が断念され、史料の編纂が始められ、史料編纂所が生まれた。そこに勤務する者として申し上げました。
https://twitter.com/diamondfloor41/status/345919895093010432
@kankimura @kous37 いや、史料編纂所員としてカチンと来てしまい、申しわけありませんでした。冷静になります。まあ考えてみれば、私が研究している中世史には実録も正史もありませんので、六国史がなんであれ、全く問題ありません。あとは大津透くんにお任せします
https://twitter.com/diamondfloor41/status/345921087021916160
他にもあるけど略。誰かTogetterでまとめてくんないかな。
本郷先生は「カチン」と来たらしいんだけれど、本郷先生の認識は果たして正しいのか?(そもそもどこにカチンと来る要素があるのかわからんが)
そもそもの謎は日本の「正史」と言われているものは、いつから「正史」と呼ばれるようになったのかということ。
この記事を書いたときから疑問に思っていた。
⇒『日本書紀』の謎 - 国家鮟鱇
「正史」と呼ぶけれど本当に「正史」なのか?便宜上そう呼んでいるだけではないのか?
まず、常識的に思うことは日本の学者が中国における「正史」の意味を知らなかったはずはないだろうということ。
次に中国の「正史」は「漢書」「東書」などのように「書」が後につくものが多いが、日本の六国史は「紀」「実録」であること。「実録」とは上にあるように「国王の治世を編年体で記した公的記録」のこと。「紀」というのは「帝紀」が皇統譜だと考えられいるように「天皇の系譜」という意味だろう。
六国史は「六つの国史」という意味であり「正史」ではなくて「国史」だし(これもいつから使用されている言葉か知らないけれど)。
本郷先生は「日本の歴史において、こうしたことが意識されていたとは、とても思えません。少なくとも、江戸時代にはないでしょう。」というけれど、そんなはずはないと俺は思う。江戸時代においても漢学に通じた人はたくさんいたのであって、意識していたと思う。
明治維新後はなおさら意識していたのではなかろうか?