先日、本郷和人さんに、「東大史料編纂所の史料だけ使って日本史を書いてください」と言っていたのがいて、そんなことができるはずはなく本郷さんもそう答えていたが、私は、典型的な「歴史中二病」だなと思ったのである。
「東大史料編纂所の史料だけ使って日本史を書いてください」というのは確かにわけわからん。というかわけがわからなすぎる。「歴史中二病」以前の問題ではなかろうか。
というわけで、実際どんな会話だったのか知りたいと思った。おそらくTwitterだろうと目星をつけたらドンピシャ。
https://twitter.com/diamondfloor41/status/345690086085627904
kazuto hongo @diamondfloor41 6月14日
友人(と、ぼくの方では勝手に思っている)の小谷野敦さんの『日本人のための世界史入門』が売れているらしい。慶賀にたえません。すばらしい! ぼくも『世界市民のための日本史入門』書いてみようかな。ま、柳の下にドジョウはいませんよね。
恵美嘉樹 @emiyosiki 6月14日
@diamondfloor41 「日本人のための東大史料編纂所の資料だけを使った日本史」を書いてほしいです。Add Star
kazuto hongo @diamondfloor41
@emiyosiki 史料編纂所は原本をそれほどはもってません。貧乏ですので。 みんな複写(影写本・謄写本・写真帳・デュープフィルムなど)です。これも使って良いのなら、十分に書けます!
でも、原文を見ると「史料」ではなく「資料」である。この「資料」とはどういう意味だろうか?
資料(しりょう)は、調査や研究の際に、論拠あるいは考察の参考にする、新たに取得したデータや既存の文献である。ソース (英語: source) ともいう。
歴史学では、研究対象となる時代に書かれた資料やそれを引用・複製した資料を「史料」という。
副教材などで教材の参考とするため関連する資料を集めたものを「資料集」という。
ここでいう「史料」の意味だとしたら、それだけで「日本史」の通史が書けるはずがない。本郷氏はそういう意味で受け取って「史料編纂所は原本をそれほどはもってません」と答えているのだろう。
しかし、本当にそういう意味なんだろうか?
※ ちなみに小谷野氏は、本郷氏とはまた違い「原本のみで日本史を書いてください」と受け取っているように思われ。しかしその場合は「東大史料編纂所の」と限定しているのが不自然に思われ。
ここで言う「資料」とは「大日本史料」などの「史料集」のことではないかと思ったりするのだが、どんなものだろう。
恵美嘉樹さんは俺のブログ読んでるそうだから教えてほしいです。
※あと小谷野先生は自分が言及されているから本郷氏のツイートを見たのだろうか?それとも常時購読してるのだろうか?どうでもいいっちゃいいけどちょと気になる。