スリランカとセイロン

セイロンの名称の由来は、紀元前5世紀に最初の王朝の初代の王になったとされるウィジャヤが、シンハ(サンスクリット語 simha 。パーリ語はシーハ siha)、つまりライオン(獅子)と人間との間に生まれた親の子供であったことから、子孫をシンハラ、ライオン(獅子)の子孫といい、島の名をシンハ・ディーパ、ライオンの島(法顕の『仏国記』では師子島)と呼んだことに因む。
セイロン島の地図(1686年)

インド洋で交易に従事したアラブ人商人は、この島の名を訛ってセレンディープ(Serendip)とし、16世紀に来島したポルトガル人はセイラーン(Ceiliao)、イギリス人がセイロンと呼ぶようになった。

1948年にイギリス連邦内の自治領として独立した際にはセイロンを国名としていたが、1972年に国名をスリランカに改めた。その背景には、独立以来次第に高まりを見せてきたシンハラ・ナショナリズムの興隆、シンハラ語公用語化(1956年)などの動きがあり、他称であり植民地時代の印象を残すセイロンから、自称であるスリランカへ変えたのである。

スリランカは、正確にはシュリー・ランカーで「聖なる」「光輝く」という意味である。インドでは古くからこの地をランカー島と呼んできており、『ラーマーヤナ』に登場するラークシャサ(羅刹)の王のラーヴァナの根拠地とされるランカー島をも指すと考えられてきた。現在はスリランカという呼称を使う場合もある。スリランカの項も参照のこと。

セイロン島 - Wikipedia


セイロンはシンハ・ディーパ(ライオンの島)→セレンディープ→セイラーン、セイロン。スリランカは聖なるランカー島。羅刹伝説の島もランカー島という。


どっちの伝説も『大唐西域記』に載っている。
大唐西域記/11 - 维基文库,自由的图书馆
ただし、「スリランカ」は羅刹島のランカー島としてではなく「古くからこの島を示す固有名詞」として採用されている(らしい)。


セイロンも建国伝説に由来するけれど、「シンハ・ディーパ」ではなく「セイロン」と呼ぶ場合は、外国人による呼称だから「他称であり植民地時代の印象を残す」ということだろうか。


詳しいことはもっと調べてみなければならないんだけれど、いろいろ考えさせられる。


「セイロン」が他称だというのは「ジャパン」も同様だ。ジャパンの語源としては

語源はマルコ・ポーロの「世界の記述」(東方見聞録)に登場する「黄金の国・ジパング (ZIPANG・ZIPANGU) 」にあるとされる。なぜ「ジパング」と呼ばれるようになったのかには、いくつかの説がある[要出典]。

「にっぽん」あるいはその異読である「じっぽん」の転訛。
当時マルコ・ポーロが辿り着いたと言われる元における言語で「日本国」のことをそのような発音で呼んでいた。
古い[誰?]中国語では日本をズーベン(ziben)[要出典]と発音していた。現在でも古い[誰?]中国語の発音を多く留める中国南方方言にはこのような発音をするところがある。

ジャパン - Wikipedia
ウィキペディアに書いてある。


ただし「ジパング」とは日本のことではないという説もある。俺はその可能性が高いと思う(「東方見聞録」のジパングには日本の情報も含まれているかもしれないが、それはジパングと日本が同一視されたということなのかもしれない)。
ジパング - Wikipedia


すなわち「ジャパン」は日本列島の住人による呼称である「にっぽん」に由来するものではないかもしれない。


ところで「スリランカ」のランカー島も「古くからこの島を示す固有名詞」ではあるかもしれないけれど、島の住民による呼称だとは限らないのではないか。特に羅刹伝説の舞台となっているのは外部の伝承が元ではないかと思われる(後に内部で取り入れられたということはあるかもしれないが)。


一方、日本も「魏志倭人伝」に「女王国」という記述が見られ、これは女国伝説・羅刹国伝説と関係するのではないかというのが俺の考え。また「ジパング」も東方に黄金の国があるという伝説が元になっていると思われる。


なお『仏国記』という史料に

414年ごろ、師子国(スリランカ)から中国へ帰国するとき、嵐におそわれて耶婆提国に漂着したが「その国はバラモン教がはなはだ盛んで、仏教は言うに及ばない。」

タルマヌガラ王国 - Wikipedia
という記事がある。「耶婆提国」がどこにあったのか不明だがジャワが有力視されている。事実としてはそうかもしれないけれど、過去において「耶婆提国」が日本のことだという考えを持つ人が存在したということは十分ありえるだろう。


というわけで「スリランカ」の国名について考えることは、「ジャパン」および「邪馬台国」は実はとてつもなく重要な関係があると思うのである。


学者は(だけでなく在野の研究者でさえ)「邪馬台国=ジャワ」説をトンデモ視して笑いのネタにさえするけれど、それは確かに「邪馬台国がジャワにあった」という説としては荒唐無稽かもしれないけれど、「邪馬台国」と「耶婆提国」に関係が全くないと果たして言えるだろうかと考えたとき、珍説・奇説などといって馬鹿にするほうがむしろトンデモではないかと思うのである。一体何の根拠があってこれを無視して真剣に考察しないのだろうか?このあたりにも日本の知識階級の病理が垣間見えるような感じがする。