邪馬台国と女国

「女国」とは「女性だけが住む国」である


そんな国が実際にあるはずがない。想像上の国である。と普通は考えるだろう。


だが俺は重要なことを見落としていた。

 其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歷年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。 事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。 自爲王以來、少有見者。以婢千人自侍。唯有男子一人、給飲食、傳辭出入。 居處宮室・樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞。
 女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。 又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。 又有裸國・黒齒國、復在其東南、船行一年可至。

魏志倭人伝 - Wikisource


魏志倭人伝」の中でも特に有名な部分だろう。ここに


「以婢千人自侍。唯有男子一人、給飲食、傳辭出入。」


と書いてあるではないか!


「婢」が女性であることはいうまでもない。すなわち卑弥呼には女性の召使が千人いて、男性はたった1人だけだったということだ。


ところで次に「居處宮室・樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞」とある。これが吉野ヶ里遺跡と類似しているということが良くいわれている。

Q.吉野ヶ里の人口はどれくらいだったの?

A.当時の人口を調べることはとても難しいことです。基本的には、お墓の数や住居の数などから推察していきますが、当時の燃料が薪だったことを考えると、周辺の森林の伐採等による環境のことも考えなくてはいけません。また、当時の人々が1 日どれくらいの食物を食べていたのか、それを満たす食糧の確保が可能だったのか、など、考えなくてはならないことはたくさんあります。吉野ヶ里では、こうした様々なことについても調査研究を行い、現時点で最盛期には、外環壕の内部におよそ1,200人、吉野ヶ里を中心とするクニ全体では、5,400人くらいの人々が住んでいたのではないかと考えられています。

吉野ヶ里遺跡の紹介:弥生Q&A|


邪馬台国吉野ヶ里遺跡かはともかく、吉野ヶ里遺跡の規模の集落で「外環壕の内部におよそ1,200人」である。「魏志倭人伝」の記述によれば、住人はただ1人の男性を除いて全て女性だったことになる
(クニ全体の人口が5400人であれば不可能ではないだろう。なお倭人伝によれば邪馬台国は七万余戸


これはまさに「女国」そのものではないか!


これをどう考えればよいのだろうか?


(その1)「女国伝説」とは何の関係もない。邪馬台国について正確に記してある
(その2)「女国伝説」とは何の関係もない。事実を大げさに記しただけである。
(その3)「女国伝説」と邪馬台国がそっくりだったので「女国」とみなされた
(その4)「女国伝説」は邪馬台国をモデルにして出来たものである。
(その5)「女国伝説」のイメージを反映させたもので事実とはほど遠い


これはかなり重要な問題だ。ところが卑弥呼は女王ではなく中華思想による誤解と偏見だとする遠山美都男氏はこの問題に触れていない。また遠山氏以外でもそういう問題提起を見たこともないし、今ネットで検索してもそれらしき話は見つからない。もしかしたらあるかもしれないがメジャーな論点でないことは確かだ。


しかし、どう考えたってこれは邪馬台国を研究する上で最重要の問題の一つである。この見解次第では見直す必要が出てくる従来の主張がたくさんあるはずだ。俺も見落としていたけれども、そこんとこどうなってるんだ?と思わずにはいられない。