『改訂新版 卑弥呼誕生』(遠山美都男 講談社現代新書 2011)読了。
前に「どちらも国内が乱れている時に女王になっていて、その後に国が治まっている。この点を無視するわけにはいかないのではないか?」という疑問を書いたが、それが【第六章】と【第七章】に書いてあった。
「卑弥呼職」は、それまで倭国王の地位と権力を保証してきた後漢の衰退とともに歴史に登場した。支配領域が一挙に拡大した倭国王の地位と権力を独自に保証し、かつ正当化する役割をもとめて創出されたのが「卑弥呼職」だった、ということになる。(p173)
ということだそうだが、「卑弥呼職」がどうして倭王の権力を保証するのか根拠に乏しいように思う。そもそも卑弥呼が女王ではないというのも可能性としては皆無ではないかもしれないが、それほど魅力的な仮説とも思えない。
もちろん中華における王の概念と倭国の首長の性質にズレがある可能性はあると思われるので、そういう意味で「女王」とは何かということを考えるのは大いに意味があるところだと思うが、俺は倭国においても卑弥呼は国のトップにいる存在と考えられていたと思う。
遠山氏の説は邪馬台国研究において主流の説ではないし、注目されるべき説として話題になっているようでもないので、これについて詳細な批判をしても意味がないと思うのでこれでおしまい。
ただし、この本を読んで閃いたことはいくつかあるので、そういう意味では得るところがあった。