台与(壱与)は実名なのか?(その2)

本当に台与(壱与)は個人名なのか?


疑問の第一点は「台与」は本当に「トヨ」と読むのか?あるいは「壱与」は本当に「イヨ」と読むのかということだ。そう読まないのだとしたら奈良時代の戸籍にみえる「トヨ」や「イヨ」とは何の関係もないことになる。ただし、その可能性はあるよねというだけのことで一応書いただけ。



第二点は奈良時代の戸籍に記されている名前も実名ではないだろうということ。それは遠山氏自身が書いている。

一般の豪族やかれらによって支配される民衆の場合、両者間に横たわる厳然とした階層差にも拘わらず、この女性の名前に関してはそれほど大きな相違がみとめられない。これはどうしてかといえば、一般民衆の個人名は奈良時代の戸籍などに初めて見えるものだが、とくに戸籍や計帳に見える人名は民衆が実生活で用いていた実名ではなく、国家が民衆支配の必要から一方的・機械的に付していったものだったことに関係がある。
『改訂新版 卑弥呼誕生』(遠山美都男 講談社現代新書 2011 57p)

だとすると奈良時代の戸籍に見える「トヨ」さんは実名ではないということになる。


なお、ここで遠山氏は「個人名」と「実名」を使い分けているので注意する必要がある。遠山氏の主張に従えば遠山氏は「台与(トヨ)」は個人名であると主張しているが、実名だとは主張していないことになるだろう。だったらそう明記すればいいと思うのだが、なぜそう書かなかったのかは遠山氏のみぞ知る。それで山尾幸久氏の『「台与」は実名(の一部分)』という主張を何の注釈もなく引用しているから混乱する。


もし「台与(トヨ)」が彼女の「実名」ではなくて、国家が彼女に与えた「個人名」だとしたら、奈良時代において「個人名」に特に意味はなくなっていたとしても、卑弥呼の時代には重要な意味を持つ名だった可能性は十分あるのではないだろうか?



第三点として遠山氏は「トヨ」という名前が奈良時代にはありふれていたことを主張する。一方「ヒミコ」は確認できず「ヒメ」なら僅かにあるという。だから「トヨ」は個人名で「ヒミコ」はそうではないということだ。だが「トヨ」がありふれているのは「トヨ」の地位が低いからという可能性もあるのではないか?たとえば武家官位というものがあって「○○守」などど名のる武士は多数いる。しかし「征夷大将軍」と名のるのは将軍だけだ(将軍は令外官だけど)。その慣習が奈良時代まで続いていたとしたら「トヨ」がありふれていて「ヒミコ」が確認できないのも不自然ではないのではないか?


(なお俺は再三言うように「卑弥呼は死んでいない」という持論があり、台与は倭王卑弥呼ではなく狗奴国の女王だと思っているから卑弥呼より格下の存在として「台与」を考えている)


(つづく)