台与(壱与)は実名なのか?(その3)

疑問の四点目は「実名敬避俗」だ。

じつめいけいひぞくと読む。漢字文化圏では、諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは極めて無礼であると考えられた。これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。このような慣習は「実名敬避俗」と呼ばれ、世界各地で行われた。

実名敬避俗(諱 - Wikipedia)


卑弥呼の時代に「実名敬避俗」があったかどうかは不明ではあるけれど、世界各地にあるということから見ても相当古い時代からあったと考えて良いのではないか?


卑弥呼」が実名でないとすれば、当然のことながら「魏志倭人伝」には彼女の実名は書かれていない。書かなかったのではなくて知らなかったのだろうと思う。


ところが「台与」は実名だという。不思議な話だ。卑弥呼は既に女王だったから名前がわからなかったが台与はまだ女王でなかったから名前がわかったということだろうか?しかし「実名敬避俗」に身分の高低は関係ないのではなかろうか?


台与は「実名」ではないが、個人を識別するための「個人名」だということだろうか。台与は後の「あざな」に該当するものであろうか?その可能性はあるかもしれない。しかし、そうではなく卑弥呼と同様に台与も役職あるいは身分を表すものだという可能性もあるのではないか?


これはもっともっと検証すべきことなのではなかろうか?


(つづく)